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一向寺 年間予定表

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令和6年 一向寺 年間予定

 1月1日ー1月4日 修正会(本堂)

 3月17日—3月23日 春彼岸供養

 5月25日(第四土曜日) 大施餓鬼会法要

 7月13日—7月16日 東京、埼玉、神奈川一部の盆供養

 (新盆供養のお宅には棚経のため14日に住職が伺います。)

 8月13日—8月16日 盂蘭盆会供養(盆供養)

 (13日が仏様のお迎え、16日がお送りです。新盆供養のお宅には棚経のため、

  14日(市内)、15日(地区外)に住職が伺います。)

 8月22日(木曜日)新盆施餓鬼会法要(新盆の仏様のいる檀家様対象)

 9月19日—9月25日 秋彼岸供養

 11月17日(日曜日) 開山忌法要

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駐車場のおしらせ

 一向寺の二大行事、大施餓鬼会法要と開山忌法要にお車でお越しの際には、一向寺西門から入って、本堂裏側の多目的広場に駐車してください。ただし、駐車可能な台数にも限りがありますので、できるだけ乗り合わせや公共の交通機関でお越しいただければ幸いです。

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年回法要(一向寺本堂内に故人のお名前が掲示してありますので、ご確認ください)

 一周忌:  令和5年

 三回忌:  令和4年

 七回忌:  平成30

 十三回忌: 平成24

 十七回忌: 平成20

 二十三回忌:平成14

 二十七回忌:平成10

 三十三回忌:平成4

 (三十七回忌:昭和63年)

 (四十三回忌:昭和57年)

 ((四十七回忌:昭和53年)

 五十回忌: 昭和50年

2024年2月 9日 (金)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第二十回

 最近、妻からホトケノザ(仏の座)という雑草を教えられた。確かによく見ると、葉が仏の台座に見えるし、その上に咲く紫色の小さな花は、合掌している仏様に見える。今まで、雑草として目の敵にしていたくせに、急に愛らしく思えた。

そもそも花を見た時に、穏やかな、幸せな気分になるのはなぜか。脳の後頭葉という場所に集められた視覚情報が、眼球の奥に位置する「眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)」という場所に届けられると、ドーパミンなどが分泌され、これによって、「美しい」「素敵だ」といった感情がもたらされるからである。これは人類共通なので、世界中の人達が、部屋に花を飾り、お祝いに花束をプレゼントする。お盆や彼岸では、お仏壇や墓所に生花をお供えするし、正月などの、いわゆる「ハレ」の日には、床の間や玄関に、生け花を飾る。特に日本では、「華道」という芸術にまで昇華させている。

 仏様に生花や供物をお供えするのは、仏様に対する我々の「心遣い」である。「亡くなったあなたのことを、決して忘れていませんよ」という思いを形に表したものとも言える。日本人の伝統的なあの世感は、梅原猛(うめはらたけし)先生の著作『日本人の「あの世」観』によれば、あの世は、この世とアベコベの世界ではあるが、この世とあまり変わりない世界、という認識だという。確かに、葬儀の弔辞で「俺があの世に行ったら、また一緒にゴルフしようぜ」的な言葉を耳にする。仏膳は通常、私たちが普段食べているような物を、箸をつける前にまずお供えする、という伝統も、こういった日本人のあの世感の影響かもしれないと思う。そういう意味では、お盆も彼岸も、仏様にとっては「ハレ」の日なので、生花をお供えする意味も理解できる。

 仏様に生花や供物をお供えするのは、仏様に対する我々の心遣いである以上、花が枯れるまで、ご飯が「カパカパ」になるまでお供えしているのは存外である。かといって、造花ならば枯れないからよかろう、缶詰ならば中身は腐らないからよかろう、という訳でもない。劣化をしない物をお供えすれば、我々はついつい安心して放置してしまう。これでは、仏様に対する心遣い、という供物の本来の目的から逸脱してしまう。平成20年「遊行」秋彼岸号で木本鑑乗(きもとかんじょう)師が指摘したように、あえて「枯れるもの、腐るもの、無くなるもの、減るもの」をお供えすべきだというのは正鵠(せいこく)を射た意見である。

 一方、仏様に対する心遣いとしてではなく、生けられた「花」に焦点を当てた言葉がある。幸田(こうだ)文(あや)の随筆『こんなこと』に出てくる父の言葉である。彼女の父は、明治の文豪幸田露伴(ろはん)である。

「床の間の花瓶に枯れるまで花を活けておくな。枯れる前に花を処置せよ。花に惨めな思いをさせるな。」

「花に惨めな思いをさせるな」という発想には共感を覚える。しかも、処分ではなく、枯れる前に花を「処置」せよ、と指示している。これは露伴が、武家出身者であるが故の感性なのかもしれない。そもそも生け花は、花の持つ美しさを、観賞用に切りとって飾るものである。しかし花は、「きれいだ」「すばらしい」といった感情を、人間に呼び起こすだけのものではなく、花そのものに「尊厳」があるのだと露伴は言いたかったのかもしれない。処分も処置も、どちらも花を始末せよ、という指示には変わりないが、語感としては、処理の方が、手心を加える余地を持たせた表現である。だからこそ、花の持つ尊厳を、徒に損ねてはいけない、という意味で、「枯れる前に花を処置せよ」と指示したのであろう。「花には花の尊厳がある」という観点から、もう一度花を眺めてみようと思う。

2024年2月 1日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十九回

 脳神経の第一番が嗅(きゅう)神経である。嗅神経は、他の脳神経と異なり、脳幹部も視床も通らず、直接大脳皮質である内嗅皮質にはいり、記憶を司る海馬(かいば)にアクセスしている。この知識を、今年息子と二人、レストランで食事をしている時に実感した。

 食事に合わせてグラスワインを飲んでいた時、ウェイトレスから「たまたま開栓した一九九八年物のボルドー、ポムロールがあるので、一杯ずつ飲んでみますか」という申し入れがあり、二人で飲む事ができた。喉の奥から広がるわずかな香りは、誤解を恐れずに言えば「堆肥(たいひ)になり始めている落ち葉のような香り」といった感じだった。味と風味を聞かれたので、失礼を省みず、あえて正直に言った。すると彼女は「それがまさしくブーケの香りだ」と教えてくださり、ブーケの香りについて色々教えて下さった。この時、これに近い香りのワインを以前に飲んだ事を思い出した。目の前にいる息子がまだ乳飲児であった三十年前、モンシャンミッシェルを見学した帰りに寄ったフランス料理店で、やはり同じように勧められて飲んだ一九七八年物のボルドーワインが、このような香りがした。日本酒や泡盛の古酒をイメージしていたのに、実際に飲んでみたら、ほんの少し「カビ臭い」感じがして、美味いとは思えなかった事を思い出したが、それをきっかけに、次々に、忘れかけていたあの時のフランスへの家族旅行のエピソードを思い出した。

 英国に住んでいた頃の話である。英国のプリマスからフェリーに乗り、フランスのシャーバーグに渡った。この時の船内放送で、英国人がいう「シャーバーグ」は、カトリーヌ・ドヌーブが演じた「シェルブールの雨傘」の「シェルブール」だとわかった。「どうせなら、シェルブールに泊まりたかったわ」と言う妻の声を尻目に車で船外に出た。ここでドクターミネは不覚にも「ラウンド・アバウト」を逆走するという大失態をした。英国は左側通行なので「ラウンド・アバウト」は時計回りだが、フランスは右側通行なので反時計回りと逆になる。この事は知っていたのだが、初めての右側通行という緊張感からか、英国と同じ方向に回ってしまい、冷や汗をかいた。

 出発前に、恩師のチャップマン教授から、美味しいフランスワインの選び方を習っていた。「フランスのスーパーマーケットは、大量のフランスワインが並んでいて、どれが安くて美味いか、ラベルなど見てもわからん。だからまずは、現地のフランス人がどのワインを選ぶか、しばらく観察しろ。そして多くの現地人が手にしたワインこそ、安くて美味いワインだ。」この方法は大変有効で、安くて美味しいワインを手に入れる事ができた。

 帰りはフランスの「ラ・ハーブ」という港町からフェリーが出るので、車で向かったが、道に迷い、何度か現地人に尋ねたが、そんな地名は知らないと言われた。そこで「シェルブール」の事を思い出し、地名のスペルを見せたところ「ル・アーブルなら、その道を真っ直ぐに行け」と言われた。「ラ・ハーブ」は、モネの生まれ故郷の「ル・アーブル」だったのか…。

「ル・アーブル」の港では、行きに一緒だった英国人夫婦達に再会した。そこで驚いたのは、英国プリマスで会った時には、ご婦人方は皆、「スッピン」だったのだが、ル・アーブルでは全員、しっかりと化粧をしているではないか。しかも、お互いに何を買ってきたか見せあったのだが、当然ワインを買ってきていると思っていたのに、彼らは大量の、車が沈むほどのフランスビールを購入していた。嬉しそうに、フランスのビールは格別美味いんだ、といった。「やっぱり英国人だ!」

この先、新型コロナウィルス感染症やくも膜下出血で嗅覚を失えば、酒の旨さがわからなくなるかも知れない。認知症になれば海馬が萎縮するので、引き出される記憶が失われるかも知れない。だからこそ、今この瞬間が愛おしい…。

2024年1月25日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十八回

 前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。

「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老い

 前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。

「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老いて、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。

息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。

父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。

、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。

息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。

父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。

2024年1月18日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十七回

 前回の令和四年秋彼岸号では、夫婦関連の話をしたので、今回は二回に分けて、親子関連の話をしようと思う。そもそも親であるという自覚は、何から生まれるのか。ドクターミネは、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされると考えている。

 ケアとは、お世話する、気遣いをすることである。特に看護領域では、患者のお世話、患者への思いやりという意味であり、看護師から患者へ施される一方向性の言葉として使われてきた。一方ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益をもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

 母親の場合、妊娠中から我が子のケアが始まる。そして最大の難事業は出産である。出産は昔から命懸けである。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」では取り上げられなかったが、源頼家の娘である竹御所(鞫子(きくこ)ないし媄子(よしこ))は、第四代鎌倉殿藤原頼経と結婚したが、出産のために三十三歳で亡くなっている。現代では医療の発達により、周産期死亡率(出産による死亡率)は激減したが、それでもゼロになった訳ではない。まさに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて母親となる。一方父親はどうか。生まれてくるまでの間は、子供に対するケアはなく、もっぱら妊娠中の妻へのケアに全力投球する(このケアが不充分だと一生文句を言われる事になる)。つまり子供が産まれて初めて父親としてのケアが始まるのである。

 おっかなびっくり、抱き上げたり入浴させたりする。オムツ交換をする中で、乳だけを飲んでいるときの便と、離乳食が始まって以降の便では、臭いが異なることも、ケアの中で実感する。必死であやしても泣き止まず、右往左往しながら、結局子供を妻に渡すと泣き止むというときに味わう敗北感。初めて「パパ」と呼ばれて小躍りして喜んだ等々。昭和53年にヒットした歌「ANAK(息子)」の歌詞を思い出す。

「お前が生まれた時 父さん母さんたちは どんなに喜んだことだろう 私たちだけを 頼りにしている 寝顔のいじらしさ 一晩中 母さんはミルクをあたためたものさ 昼間は父さんが あきもせずあやしてた」

もう、こんな仕事なんかやってられるか、と愚痴りながら夜中に帰ってくる。それでも子供の寝顔を見たら、また明日から頑張るかと、拳を握りしめる。確かにケアは、ケアされる者のために行うのであるが、同時にケアする側にも幸福感や満足感をもたらす。ただ良いことばかりではない。この歌は次のように続く。

「お前は大きくなり 自由がほしいと言う 私達はとまどうばかり 日に日に気難しく 変わってゆくお前は 話を聞いてもくれない 親の心配見向きもせず お前はでてゆく」

オムツ交換や入浴介助など、直接的なケア行動が主体であった我が子も、成長に伴い、徐々に、間接的なケア行動の割合が増えていく。そして巣立ちのときを迎えてしまうと、直接的なケアといえるのは、たまに帰郷した時に、少々迷惑がられながらも、「食べきれないほどの料理」を用意してもてなすことぐらいになる。それでも親としては「心配する」という間接的なケアは残る。結局は、親として出来るのは、お前がどんな状況になろうとも、私達は最後まで味方だよ、と念じ続けるしかない事にも気付かされる。そういった全てのケアリングの体験が、自然に自らに「親としての自覚・矜持」をもたらしてきたのではないのか。

ただ、我が子の成長に従い、そして悲しい現実だが、親としての我が身の高齢化に伴い、結果としてケアの形態が変化していく。時として、親としての矜持が重荷にかわっていくが、この先の話は、めでたい正月にはあまりそぐわないので、次回、春彼岸号に回す事にする。

2024年1月11日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十六回

最近学生に、高齢者医療について「老いと向き合う」という題で講義をした。その中で、胃瘻(いろう)について説明した。胃瘻とは、経口摂取ができない患者に対して、外から直接胃に穴をあけて、チューブを設置し、そこから栄養のみならず、水、薬を投与する方法である。そもそも胃を含めた消化管は雑菌による感染に対して強いので、特別な滅菌処置は不要である。

しかも胃瘻自体が不要になれば、単に抜去するだけで、自然に塞がる。胃瘻は優れものだが、胃瘻によって生かされている姿を他人事として見ると、拒否感を持たれる方もいる。この胃瘻に関して、学生が書いたレポートの中に次のようなエピソードがあった。この学生の曽祖父は終末期において、病気の関係で経口摂食ができなくなり、胃瘻からの摂食をしていた。意識はしっかりしていたこともあり、妻(学生にとっては曽祖母)は毎食、夫の好きな物を細かく刻んで、あたかも口から食べさせるように、胃瘻から食べさせていたという。それを夫は満足そうに眺めていたそうである。

このエピソードを読んで、おそらくこの老夫婦と同年代と思われる、ある老夫婦のことを思い出した。老婦人が亡くなる1-2年前、夫が先にお浄土の人となった。しかし彼女はこの時入院中であり、葬儀に参列することができなかった。この老婦人が亡くなり、七七日(しじゅうくにち)忌に納骨したが、なぜか納骨に手間取っているようであった。納骨供養の後に、施主である息子さんに、なぜ手間取っていたのか、訳を尋ねたところ、笑いながら、こう言った。

「お袋は亡くなる直前、自分が死んだら、夫の骨壷と自分の骨壷が、離れ離れにならないように、縄で縛ってほしい、と言うのです。これがお袋の遺言ですから、親父とお袋の骨壷同士を一緒に縛っていたので、時間がかかりました」

ドクターミネは、涙が出るほど感激して、帰宅したら、真っ先に妻にこの話をしようと思った。しかし実際に妻の顔を見たら、ちょっと待てよと思い、口をつぐんだ。世の常として、男性である私が先にお浄土に行き、妻を待つことになるであろう。そして妻が臨終に際し、この老婦人のように、離れ離れにならぬように、骨壷同士を縛ってほしいと、遺言してくれれば、万々歳である。阿弥陀如来の後に従って、胸を張ってお迎えに行くことができる。しかし、例えば

「死んでからも、あの人とくっつきたくないから、骨壷同士をできるだけ離して頂戴!」とか

「死んでまであの人と一緒にいたくないから、別のお墓に私の骨壷を入れて頂戴!」

なんて言われてごらんなさいよ。阿弥陀如来に

「おい、お前の妻をそろそろ迎えに行くぞ」

とお誘いいただいても、どの面下げて迎えに行けばいいんだよ、という事になる。この感動話も、迂闊(うかつ)には話ができないぞ、と思い、つくづく、夫婦のあり方について考えされられた。最後に、宗祖一遍上人のお言葉で締めさせていただく。

それ、生死(しょうじ)本源(ほんげん)の形は男女和合(なんにょわごう)の一念。流浪(るろう)三界(さんがい)の相は愛染(あいぜん)妄境(もうきょう)

迷情(めいじょう)なり。男女かたち破れ、妄境おのづから滅しなば、生死

(もと)無にして、迷情ここに尽きぬべし。

(現代語訳:生死輪廻(りんね)する本源は、男女和合の一念である。三界を流浪するのは、愛欲に執着した迷いの心を持っているからである。男女の形が破れると、誤った心が自然に消えるので、生と死は本来実体の無い、仮の姿であると気づき、迷いの心は消えるであろう。現代語訳は、『一遍上人縁起絵』現代語訳研究会編より)

2024年1月 2日 (火)

令和6年 一向寺通信(PDF)

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2024年1月 1日 (月)

新年の挨拶(PDF)

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当山喪中の為、新年の挨拶をご遠慮いたします。

檀信徒の皆様方には、日頃から何かと一向寺護持興隆の為に多大なご協力を賜りまして、厚く御礼申し上げます。

一向寺通信新年号、時宗宝暦を同封いたしました。最後のページには、今年の年間予定と、ホームページのアドレスがありますので、ご参照いただければ幸いです。

 

令和六年正月

時宗 蓮池山無量院一向寺住職

峯崎賢亮

 

2023年1月 1日 (日)

令和5年 新年一向寺通信

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謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 

2022年6月14日 (火)

令和4年度大施餓鬼法要の様子

 令和4527日夜半の突然の雷雨、強風のため、大施餓鬼法要を修行した528日は、檀家様にお手伝いいただきながら、早朝から境内の掃除から始まりました。幸いなことに、当日の天気は良好でした。新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が未だ収束していない状況を鑑み、昨年同様、出来る限り「三密」をさける方針で、檀家様方には、境内での法要参加といたしました。

法話の講師は、現場の最前線で、新型コロナウィルス感染症を診療されている、佐野厚生総合病院副院長、井上卓先生にお願いしました。

法要も昨年同様、住職と随喜僧侶のみが本堂で法要を行ない、焼香台は、本堂入り口前に設置し、階段昇降は、右側上り、左側下りと分けるために、カラーコーンを置き、並ぶ際もそのカラーコーンの位置に並んでいただきました。

 法要の中で卒塔婆を供(くう)じた後、卒塔婆を本堂から境内内の卒塔婆置き場に移動し、お焼香後は、境内墓地の方は卒塔婆を外で受け取り、院外墓地の方は翌日、それぞれの墓地に卒塔婆を取りに行っていただきました。

 写真1は、大施餓鬼法要前の様子です。急に真夏の暑さとなったため、急遽テントを用意しました。また木陰となる紅葉の木に椅子を、また梅の木の下に椅子と縁台を移動し、そこにお座りいただきました。
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写真1

 写真2は、井上卓先生が実際に講演されている様子です。猛暑対策のため、「朱傘」に下で講演していただきました。

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写真2

2022年6月13日 (月)

新型コロナウイルス感染症を診療して感じること

令和4年5月28日 一向寺大施餓鬼法要 法話資料

厚生総合病院
 内科 副院長 井上 卓(たかし)氏

新型コロナウイルス感染症を診療して感じること


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※公開の許諾を得ております。

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