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2010年10月 3日 (日)

『汝スプーン(匙)となるなかれ③』Dr.Mineの仏教法話

 ただ親が長生きした場合は、さっきの蕎麦屋さんとはまったく異なる問題が生じてきます。

師匠である父親にしてみれば、弟子である息子はいつまでたっても子供だと思っています。一方息子にしてみれば、いつまでも俺は子供ではない、充分に独り立ちできているのだから余計な口出しをするな、と反発します。

自分は、法句経64でいうところの「スプーン」だと気付いていても、なかなか素直になれません。私は、80歳を越えて元気な両親がいて、成人した子供もいますから、両方の気持ちがよくわかります。

 ましてや親が、寝たきりや認知症となって、長い間介護を余儀なくされれば、どんなに親を尊敬して感謝している人でも、悲しい現実に翻弄されることがあります。


 私が仕事の関係で、英国で生活していた時の話です。
上司チャップマン教授の奥様であるベロニークと、午後の紅茶の時に色々とお話をしていました。たまたま介護の話になって、日本では、年老いた親の面倒は子供がみるのが義務です、とお話ししました。私はこれが世界の常識だと思っていました。

ところが、このベロニークは、びっくりした顔をして、信じられない、というのです。ヨーロッパでは、年老いた親は、国家が社会保障で面倒をみるものだというのです。私が驚いていると、彼女はこういいました。「私はマシュー(彼女の長男)のおむつを取り替えたわ。だってそうでしょう。私は彼の親だから、当然だわ。でもどうして私が、マシューにおむつを替えてもらわなければならないの?それでは私は、親ではなくなってしまうでしょう。」

実に淡々と、こういいました。私は頭を殴られる程のショックを受けました。その後の内科医としての人生観が変わりました。日本型介護の問題点は、介護する家族の苦悩と同様に、介護される高齢者の苦悩も深いものなのです。


 夫婦の関係もまた、しばしばスープとスプーンの関係になってしまいがちです。長年連れ合い、それが慢性化すると、その存在が当たり前になってしまい、お互いを思いやる心や行動に鈍感になってしまうように思うのです。

傷つけるような言葉や行動をとっても、それに気づかない、いや気づこうとしない。それがヘドロのように川底に沈殿していって、時々爆発してしまう。感謝する気持ちがあっても、照れがあって、感謝の気持ちを上手に態度で表せないのです。

 私がまだ、病院の内科部長をしていた時のことです。普段外来でみていた患者さんの夫が、末期癌で入院しました。部長回診で、その患者さんを毎週診ることになりました。ある時その方は、このように言われました。

「子供が小さい時には、夫婦二人で夢中で子育てしました。私が定年退職を迎えて少しほっとしたら、妻が病気で先生に色々お世話になりました。その妻もようやく良くなったので、夫婦でゆっくり温泉でもいこうと言っていたのに、今度は私がこんな病気になってしまって。妻には苦労をかけっぱなしだったのに、私はもう、妻を温泉にすら連れていってやれないのです。」

次の週の総回診の時には、もういらっしゃいませんでした。(続く)

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