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2010年10月

2010年10月 4日 (月)

『汝スプーン(匙)となるなかれ④』Dr.Mineの仏教法話

 私もまた忙しい、忙しいで日々を暮らしてきました。

人の命を預かる医者をやっているのだから当たり前だ、子育てには金が必要だし、それを稼いでいるのだから、少々の事は我慢しろ、という感じでした。

妻に感謝の念がなかった訳ではないし、妻にその事をいわれれば、感謝しているよ、当たり前だろう、といいました。それでもやっぱり、いつもそばにいるからこそ、その有り難さに気づかずに、自分の事ばかりになっていたように思うのです。

妻子の為に働いているという自負は、裏を返せば、それ以外のことは私の為にやってくれて当たり前、という意識が働いていました。「妻には苦労をかけっぱなしだったのに、私はもう、妻を温泉にすら連れていってやれないのです」という患者の言葉が、私の耳から離れませんでした。私は間違いなく、妻に対してスプーンになっていました。


 では何故、相手に死なれたり別れたりした時に、ようやくその有り難さを思い出すのでしょうか。


それは「人の存在は、他者から与えられる」という人間の特性があるからです。これを関係存在といいます。人間は、他者の他者としての自分を無意識のうちに感じることで、自らの存在を確認しているのです。

例えば、教師は生徒という他者がいるから、自らが教師であるという存在を確認できるのです。医師は患者という他者がいるから、自らが医師であるという存在を確認できるのです。

私は妻子がおりますが、妻や子供の前では無意識のうちに、夫としての自分、父親としての自分を確認しているのです。もし妻に死に別れると、夫としての自分の存在を確認できなくなります。夫としての自分の存在を失ったと感じた時に初めて、自分に存在を与えてくれた相手である妻が、あれこれしてくれた事を思い出すのです。

今まで当たり前だと感じていた事にようやく目が向きます。そして、相手がいかに大切な存在であったかを認識し、自分が相手に対して何もしてやれなかったという嘆きを生じるのです。


 しかし重要なことは、親子の縁、夫婦の縁など、人と人との縁というものは、相手が仏になっても決して切れないという事です。

切れてたまるものですか。何かをきっかけにして思い出す事でしょう。あの時は幸せだったなとか、あの時二人でがんばったなあ、とか。

でも甦るのは決して楽しかった事ばかりではありません。あの時はどうしてあんな事を言って傷つけてしまったのだろう、といった後悔の時も甦ります。

私たちという存在の中には、そういう甦る「時」が無数にあるのです。私たちだけではありません。仏様の方にも、私たちとともに過ごした無数の「時」があるのです。

だから私たちが、仏様を思い出して念仏を称えると、その思いを共有する事ができるのです。あなた、あの時は幸せでしたね、と思ったら、その思いが仏様にも伝わります。親父、あの時は本当にすまなかったな、と思ったら、その思いが仏様に伝わるのです。


 南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を称えるという事は、その瞬間だけですが、私たちが阿弥陀仏と一体化して南無阿弥陀仏という仏になるという事です。これを機法一体(きほういったい)といいます。

その阿弥陀仏の周囲には、私たちに縁のある大勢の仏様方がいらっしゃって、いつも私たちを見守っていてくださいます。だから私たちが、それぞれ大切に思う仏様方を思い出して南無阿弥陀仏を称えますと、その思いは必ず仏様に伝わるのです。

相手が仏様になっても、そのご縁が決して消滅しないということは、そういう事です。(終わり)

2010年10月 3日 (日)

『汝スプーン(匙)となるなかれ③』Dr.Mineの仏教法話

 ただ親が長生きした場合は、さっきの蕎麦屋さんとはまったく異なる問題が生じてきます。

師匠である父親にしてみれば、弟子である息子はいつまでたっても子供だと思っています。一方息子にしてみれば、いつまでも俺は子供ではない、充分に独り立ちできているのだから余計な口出しをするな、と反発します。

自分は、法句経64でいうところの「スプーン」だと気付いていても、なかなか素直になれません。私は、80歳を越えて元気な両親がいて、成人した子供もいますから、両方の気持ちがよくわかります。

 ましてや親が、寝たきりや認知症となって、長い間介護を余儀なくされれば、どんなに親を尊敬して感謝している人でも、悲しい現実に翻弄されることがあります。


 私が仕事の関係で、英国で生活していた時の話です。
上司チャップマン教授の奥様であるベロニークと、午後の紅茶の時に色々とお話をしていました。たまたま介護の話になって、日本では、年老いた親の面倒は子供がみるのが義務です、とお話ししました。私はこれが世界の常識だと思っていました。

ところが、このベロニークは、びっくりした顔をして、信じられない、というのです。ヨーロッパでは、年老いた親は、国家が社会保障で面倒をみるものだというのです。私が驚いていると、彼女はこういいました。「私はマシュー(彼女の長男)のおむつを取り替えたわ。だってそうでしょう。私は彼の親だから、当然だわ。でもどうして私が、マシューにおむつを替えてもらわなければならないの?それでは私は、親ではなくなってしまうでしょう。」

実に淡々と、こういいました。私は頭を殴られる程のショックを受けました。その後の内科医としての人生観が変わりました。日本型介護の問題点は、介護する家族の苦悩と同様に、介護される高齢者の苦悩も深いものなのです。


 夫婦の関係もまた、しばしばスープとスプーンの関係になってしまいがちです。長年連れ合い、それが慢性化すると、その存在が当たり前になってしまい、お互いを思いやる心や行動に鈍感になってしまうように思うのです。

傷つけるような言葉や行動をとっても、それに気づかない、いや気づこうとしない。それがヘドロのように川底に沈殿していって、時々爆発してしまう。感謝する気持ちがあっても、照れがあって、感謝の気持ちを上手に態度で表せないのです。

 私がまだ、病院の内科部長をしていた時のことです。普段外来でみていた患者さんの夫が、末期癌で入院しました。部長回診で、その患者さんを毎週診ることになりました。ある時その方は、このように言われました。

「子供が小さい時には、夫婦二人で夢中で子育てしました。私が定年退職を迎えて少しほっとしたら、妻が病気で先生に色々お世話になりました。その妻もようやく良くなったので、夫婦でゆっくり温泉でもいこうと言っていたのに、今度は私がこんな病気になってしまって。妻には苦労をかけっぱなしだったのに、私はもう、妻を温泉にすら連れていってやれないのです。」

次の週の総回診の時には、もういらっしゃいませんでした。(続く)

2010年10月 2日 (土)

『汝スプーン(匙)となるなかれ②』Dr.Mineの仏教法話

 私には思い当たる節があります。私の学生時代の時宗学頭(がくとう)は橘俊道(たちばなしゅんどう)先生でした。

常に真摯(しんし)に時宗学を研鑽(けんさん)され、毎年本山で行う講習会で講義されていました。私も師父に言われて、正直に言えば嫌々、その講義を聴きました。30年以上も前の話です。

二十歳を少し過ぎたばかりの医学生であった私は、仏教の話にまったく興味が持てず、いつも居眠りばかりしていました。橘先生は同じ時宗の僧侶だから、必要になった時に一所懸命に聴けばいいやと、高を括っていました。

ところが橘先生は、平成元年に72歳で往生されてしまい、私が四十歳をすぎて仏教に興味を持ち始めた時には、もうお話しを拝聴することができなくなっていました。ここで初めて、自分がスープの横にある、スプーンだったと気付きました。

 師弟関係が親子である場合、特に父と息子という場合は、問題が複雑です。右も左もわからない駆け出しの時代は、親子の師弟関係だと、どうしても子供の方に甘えが生じてしまいます。そのため往々にして、スープとスプーンの関係になってしまい、気付いたら親が亡くなっていて「親孝行、したいときには親はなし」という心境になります。


 こんな話がありました。ある有名なお蕎麦屋さんのご主人は、自分のお店をぜひとも息子に継いでもらいたいと、手許において修行させていました。

ところが息子の方はチャランポランとやっていて、らちがあきません。いくら言っても同じ失敗ばかり繰り返す有様。そんなある日、身体の調子が悪いのに気付いて病院を受診したご主人は、医師から癌である事を告げられました。しかもすでに末期癌で、余命三ヶ月だといわれました。自宅に戻って、仕事を息子に教えなければならないと焦るのですが「親の心、子知らず」であいかわらずチャランポラン状態。ご主人、遂に意を決して息子にこういいました。

「俺は、医者から癌で、余命三ヶ月だといわれてきた。いいも悪いもない。お前に仕事を教えてやれるのは、どんなに長くとも、あと三ヶ月しかないんだ。」


その日から、息子の目の色がわかったそうです。


 人間、いつか死ぬ事はわかっていても、まさかそれがすぐに訪れるとは予想していません。だから息子にしてみれば、いつでも親から蕎麦作りを教えてもらえると思っています。


それが当たり前だと思っている。


ところが、長くともあと三ヶ月という期間限定であることを知ったとき、今まで当たり前だと思っていた事が当たり前ではないことに気づくのです。この、特に意識をせずに当たり前だと思っている事を「自明(じめい)」といいます。

それが死を前にして、当たり前だと感じていた事が当たり前ではないと気づく瞬間を、自明性の崩壊(ほうかい)といいます。この息子は、蕎麦作りの師匠である父の死により自明性が崩壊することで、自分が法句経64でいうところのスプーンであると気付いたのです。


 大ヒットした『ロード』という歌の一節に、「何でもないような事が、幸せだったと思う」というのがあります。

これがまさに、自明性の崩壊を感じた瞬間です。何でもないような事を、当たり前の事として意識せずに出来る事が、実は幸せなのです。なにせ、チャランポランな息子を一日で真面目な青年に変えてしまうのですから。(続く)


2010年10月 1日 (金)

『汝スプーン(匙)となるなかれ①』Dr.Mineの仏教法話 

 第一回目の仏教法話は、法句経(ほっくきょう)の一節です。次のような言葉があります。


「たとえ生命(いのち)のかぎり
師にかしずくとも
心なきひとは
正法(まこと)を知らざるべし
げに
匙(さじ)は器につけども
汁味(あじ=スープのあじのこと)を知ることなきがごとし」(法句経64)


「たとえ瞬時(またたき)の間(ま)
師にかしずくとも
心あるひとは
たちまちにして
正法(まこと)を知らん
げに舌こそ
美味(あじ)を知るがごとし」(法句経65)

 法句経は、釈尊(しゃくそん)が平素口にされていた、いわゆる人生訓を、釈尊滅後あまり遠からぬ時期に、弟子達によって編集されたものだといわれています。原典はパーリ語でかかれていますが、これを友松圓諦(ともまつえんたい)師が邦語訳し、戦後、法句経講義としてラジオ放送されたのをきっかけに人々に知られるようになりました。


 法句経64のいわんとするところは、どれだけすばらしい師に従って一生学んだとしても、「近くにいるから、いつでも師の教えは聞ける」と高を括っていると、何も正法を得る事ができずに終わってしまいますよ、それはあたかもスープとスプーン(匙)の関係のようなもので、スプーンは常にスープの器のすぐ近くにあっても、そのスープの味を味わうことはできないでしょう、という意味です。


一方、法句経65のいわんとするところは、一期一会(いちごいちえ)の覚悟で教えを聞けば、たとえ師に従うのが瞬時の間であっても、正法を得ることができますよ、それはあたかも舌とスープの関係のようなもので、舌がスープに近づくのは一瞬ですが、しかしその舌がスープの味を知るでしょう、という意味です。

すぐ近くにいる時にはその有り難さを感じることができず、逆に離れるとその有り難さを知るという経験、皆様方にはありませんか?それが題名にも示したように、スプーンになるということなのです。(続く)

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