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2011年8月 9日 (火)

『施餓鬼法要の現代的意義 ⑦』 Dr.Mineの仏教法話

 元気な時は祟りなど気になりません。

しかし自分が病気になった時、自分や身内に不幸が続いた時が問題なのです。世の中には、「その不幸は祟りのせいかもしれない」と耳元でささやく人がいます。

それは、日本人の中に祟りを本気で信じている人が結構いるからです。そういう人にとっては、「祟りかもしれない」ということは何も特別なことではなく、「善意の第三者の一言」なので厄介です。

また危険な宗教が信者獲得のための常套(じょうとう)手段は、先祖の中で成仏していない霊がいるとか、先祖と縁のある霊が成仏できずにいて、その霊が祟りをおこしているとか、一番多いおどしが水子の霊の祟りだといって恐怖心をあおります。

 施餓鬼法要というのは、今回の災害の時のように、充分に供養されずに亡くなった多くの方々のご冥福を心から祈る法要であると同時に、自分や御先祖様が生きていく上でご縁のある、すべての霊や仏に感謝して祈り、御供養する法要です。

その為に大勢の僧侶が集まって、一所懸命施餓鬼供養をしています。もし将来、祟りの不安を感じた時には、この話を思い出していただければ幸いです。(完)

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