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2011年8月 9日 (火)

『施餓鬼法要の現代的意義 ②』 Dr.Mineの仏教法話

Segaki

 では、この「餓鬼」とはいかなるものでしょうか。岩波の仏教辞典によれば、一般に餓鬼とは、供養する者のいない無縁の霊や祀る人のいない霊魂を指す、とあります。

 平安末期から戦国時代にかけての中世においては、飢饉や戦乱によって多くの命が失われました。死者の数が多くなりますと、供養してくれるはずの一族すべてが死に絶えるということも稀ではありません。

そういう時には、生き残った人々が、多数の死者の施主となって、施餓鬼供養を行なってきたのです。宗祖一遍(いっぺん)上人の伝記である『遊行上人縁起絵(ゆぎょうしょうにんえんぎえ)』にも、鎌倉時代当時の施餓鬼供養の模様が描かれています(図参照)。

戦乱が無くなった江戸時代でも、特に江戸の大火で多くの犠牲者を出した時に、大々的に施餓鬼供養を行ったという記録があります。

 このたびの東日本大震災においては、死亡者、行方不明者合わせておよそ三万人にも及びます。しかもかなりの数の方々は身元不明のまま、火葬すら間に合わないために土葬で埋葬されていると新聞で報じられました。そのため地元の僧侶のみならず、僧侶ボランティアも多数、現地に行って供養しています。

考えてみますと、関東以西の方々は幸運にも被災せずに済みましたが、しかしいつ我が身が被災者になるかわかりません。

だから仏教では、自然災害や戦争などで亡くなられた方を、犠牲者とか物故者とはいわず、「代受苦者(だいじゅくしゃ)」と呼びます。本来ならば私が受けたかもしれない苦しみを、代わりに受けてくださった方々という意味です。だからこそ、被害から免れた私たちが心を一つにして、この災害でお亡くなりになられた方々のご冥福を祈り、ご供養する必要があるのです。

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コメント

代受苦者と云う言葉を変換しようとした時,一度で出来無かったと云う事は日頃使い慣れていないからだと思える自分と言葉として存在してたという現実にすごく切なかったです。ホントにどうしようも無い程…。もしも自分が被災者だったらなんて実はあり得ない自分が居ての前提なんですよね。でもまさしく代受苦者の方々は3万人も…、自分は何ができるかなんてきっとおごりでしょうね。代受苦者、繰り返してもキツイ言葉ですね。

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