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2011年8月 9日 (火)

『施餓鬼法要の現代的意義 ③』 Dr.Mineの仏教法話

 私たちは誰でも、一人では生きていくことができません。

多くの方々との縁でつながっていて、その縁に助けられて生きています。その縁は、例えば親子の縁、夫婦の縁、兄弟の縁、師弟関係の縁、友人との縁というのは、自分ではっきりと自覚できる縁です。しかし縁の中には、自覚できない縁が無数にあります。

 食事のことを例にして、一緒に考えてみましょう。まずはお米と野菜。もちろん自分で作っている方もいるでしょうが、多くの人のは、農家の方々が手塩をかけて育てたお米や野菜を、お米屋さん、八百屋さん、スーパーマーケットなどで買います。

このたびの大震災では、津波によって広い地域で田畑が流され、塩水につかってしまいました。しばらくは田畑として耕作できないでしょう。もちろんこの地域の農家の方々の中には津波の被害で亡くなられた方もいます。私たちの食生活は、そういう方々の作った農作物のおかげで、直接的、間接的に支えられ、命をつないできた訳ですから、津波で命を落とされた農家の方々と無縁という訳にはいきません。

 また、お米や野菜を洗うにしても、水が必要です。このたびの大震災で、水の有り難さを痛感しました。安全な水は、ただで手に入る訳ではありません。安全な水を供給してくれる多くの方々の努力によって支えられているのです。これまた、水に関わっている多くの方々と無縁という訳にはいきません。

 お米を炊飯するためには電気が必要です。今回の震災で、電気ほど多くの方々との縁で供給されているものはない、と気づいたはずです。工業立国日本においては、質の高い電気を安定供給する場合、火力発電所のみでは需要に追いつかないという現状があります。我が国では石油がほとんど産出されないので、産油国の思惑に一喜一憂することになりますし、第一化石燃料による発電は、地球温暖化の問題も無視できません。

膨大な電気消費量をまかなう為には、火力発電所の何倍も効率よく電気を生み出す原子力発電所は、どうしても必要なのでしょう。ただ、原子力発電は二酸化炭素を排出しませんが、大量の核廃棄物が残りますし、ひとたび発電所に事故が起きれば大変な被害がでます。

そのことを、今回の地震に伴う福島原発事故で改めて気づきました。しかも首都圏で消費される三分の一は、福島県で作られています。

だからこそ、このたびの災害で福島原発がダウンすれば、否応なく、電気が不足する事態となり、計画停電が必要になりました。

そしてこのたびの震災では、福島原発関係者もまた犠牲になりました。福島原発を完全に制圧するためには、悲しいことですが、今後、被爆等により犠牲者が出るかもしれません。私たちは、そういう命の犠牲の上で、電気を得ているのです。原発で被害を受けた方々と無縁では生きていけないのです。

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