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2012年1月17日 (火)

『日本人として生きる』④  Dr.Mineの仏教法話

しかも国債という名の赤字が、現在まで相当額累積しています。今回の震災や台風被害で、さらなる借金も必要になることでしょう。それらのつけも、我ら日本人の子孫に残していくことになります。これからどうしたらよいのか、正直よくわかりません。しかし、そういう問題を避けて通ることができないのが、日本人に生まれ、日本人として生きるということなのです。

 そして、生の延長線上に死があります。それが表題に示した、日本人として死ぬということです。


 時宗宗祖上人の言葉に
  の作法が臨終に必ず現起するなり

とあります。要するに、今まで生きてきたことが臨終に必ず現れるという意味です。また病院の臨床の場で、昔から言い継がれてきた言葉があります。

  人間は生きてきたように死んでいく

死だけが特別な形でやってくるわけではありません。几帳面に生きてきた人は、几帳面に死んでいきます。ずぼらなに生きてきた人はずぼらに死んでいきます。病死であっても、事故死であっても、また自殺であっても、その最後の迎え方によらず、生きてきたように死んでいきます。


 私が尊敬する先輩医師のお父様のお話しです。彼は若い頃、労働組合の委員長として活躍されたそうです。組合活動のために、家族をだいぶ犠牲にしたとのことでした。その父親が年老いて、認知症になりました。最後を看取ったその先輩医師が、しみじみこうおっしゃいました。

「親父は卑しくぼけなくてよかった。しょっちゅう、困っている同僚や部下を必死でかばった委員長時代の自分に戻っていた。気高くぼけた親父をみて、わだかまりが消えてむしろ尊敬の念すら覚えた。」

 病気で死ぬのか、災害で死ぬのか、場合によっては自殺で死ぬかもしれない。病気で死ぬにしても、ぽっくりくのか、寝たきりになったり、ぼけたりして死ぬのか。いずれにしても私達は、死に方は選ぶことができません。しかし、どんなにじたばたしようとも、生きてきたように死んでいくのです。

 私は、日本人に生まれ、日本人として生きてきたのですから、日本人として死を受け入れて、日本人として死んでいこうと思っています。多くの日本人は、なんとなくにしても、死ねば仏になると思っている。しかも昔から多くの日本人は、死んだら、ご先祖様や先にった友人達が待っている、浄土とか天国という名の場所にいくと思っています。正直、絶対的な自信があるわけではありませんが、私もそう信じています。この死生観は、仏教が入ってくる以前から、日本人の中にあったものだといわれています。

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