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2012年1月17日 (火)

『日本人として生きる』③  Dr.Mineの仏教法話

 ある訪問看護専門の看護師さんの話です。自分が担当している集団の中にまったく動けない患者さんがいました。そのため地震直後に心配して駆けつけて、二階に避難させている最中に津波に襲われました。患者さんとその家族は無事でしたが、助けにいった看護師は亡くなりました。自らが職務で担当している集団を守るために、殉職しました。

 私達は色々な集団に属しています。職業集団、市民とか県民という名の集団、そしてなによりも、日本人という集団。集団は集団独特の感情や理屈、または誇りまでも持っている。そして集団全体に危機が訪れると、本能的に命をかけてでも守ろうとする。これはなにも日本人だけの特殊性ではありません。

たとえば9.11事件がニューヨークで発生したとき、倒壊寸前のビルに、何人もの消防士が人命救助のために飛び込んでいき、消防士自身が命を落としています。ニューヨーク市民、アメリカ国民という集団の危機に対して、それを守るために多くの消防士や警察官が命を捧げたのです。

 その、本能ともいうべき人間の感性を、かつて日本では国家が利用しました。日本という国家、日本人という集団を守るため、しいてはアジア民族という集団全体を守るためだと宣伝して、魂を揺さぶり、若者を戦場に駆り立てました。そのため当時の多くの若者達は、自ら志願して命を捧げました。

まさか戦後、靖国神社参拝問題が起こるなど予想もせずに、靖国神社で再会すると約束しあって、死地に赴きました。これはもしかすると、教育やプロパガンダだけの影響ではないように思うのです。

 集団に属しているということは結局、その集団が巡り会う運命に、否応なく従わなければなりません。その一番典型的な例が、このたびの福島原発事故です。大量の放射性物質が飛散しました。放射性セシウムによる被爆は、ゆゆしき問題です。

もし私が外国人であれば、自国に帰国すれば問題解決です。しかし東日本で生活する私にとっては、逃げる事ができません。東日本で生活する集団に属するということは、この現実を受け入れなければなりません。どれほど国家の原発行政を非難しようとも、東京電力の対応を責めようとも、まずは現実を現実として受け止め、それでこれからどうするのかを考え、議論していかなければなりません。


 電気の問題は、もちろん一人一人の節電は大変重要です。しかし日本という国は技術立国であり、大量の工業製品を輸出しているので、電気の安定供給は絶対不可欠です。しかし我が国には石油資源もなく、天然ガスも出ませんから、火力発電にのみ依存すれば、産油国の思惑に振り回されることになります。

加えて炭酸ガス排出による地球温暖化の問題も無視できません。かといって今更、ダムを増やして効率の悪い水力発電という訳にもいきません。原子力発電以外の方法で、本当に需要をまかなうことができるのでしょうか。

しかしその原子力発電の場合、ひとたび事故が起こると大変な被害が生じるという問題の他に、核廃棄物の問題があります。核廃棄物であるプルトニュームが、世界中で年間8千トンもでき続けています。現在までの累積で二十数万トンにも及ぶという現実があり、それが年々増加の一途をたどっています。

プルトニュームの半減期は2万年といわれていますので、ほぼ永久的に放射能を出し続けます。日本では、青森の五所川原村の地中にとりあえず埋めていますが、それだって限界があるでしょう。原発を利用し続けるということは、この核廃棄物を、我らの子孫に大量に残していくということです。


 

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