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2014年7月25日 (金)

終末期医療と宗教について⑩

 どんな晩年になろうともそれを受け入れて、田代三喜様がされたように、恥ずかしい、情けないと思うような状況に陥っても、それが老いる、病気になって死んでいくという現実ですから、ありのままの姿を次の世代にみせて死んでいくことこそが、人間として生きてきた最後の役割のように思います。
この問題に関して、昭和の名僧、内山興正(うちやま こうしょう)老師は、実におもしろいことをいっています。
  人生の最後には世捨て人じゃなくて、世捨てられ人のような状態
  になるでしょう。その世捨てられ人のような状態をぐずらずに受け
  て立ち、それを勤め上げることに情熱をもやす。
  その生き方を、「一行に遇うて一行を修す」というのです。
昭和を代表する禅僧でも、老境に入れば、「世捨てられ人のような状態」になられたのかもしれません。しかしそれをぐずらずに受けて立ち、それを勤め上げることに情熱をもやすというのは、いかにも老師らしい言葉です。

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