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2014年7月30日 (水)

終末期医療におけるスピリチュアルペインについて⑤

(5)自律存在の喪失に伴うスピリチュアルペインについて
 自律存在とは「自己決定ができる自由が与えられている存在」と定義されます。自分が思うような事が思うようにできてこそ、自分が生きているという事が実感できるのです。つまり自律性は、自分の事は自分で出来るという事ですが、その存在の喪失とは、自分で自分の事をコントロールできなくなるという事を意味します。
 例えば人は、用便をもよおせば、いつでも自分の足で歩いて、トイレにいく事ができます。しかし脳卒中などで肢体不自由になると、大小便も、食事も、人の手を借りなければならなくなります。その結果、自分は人間として生きている事になるのだろうか、人の世話になってまで生きている値打ちがあるのだろうか、という思いに悩まされます。
これが自律存在の消滅によるスピリチュアルペインです。末期癌の患者はしばしば、大小便だけは最後まで自力で用を足そうとします。もう、そんな体力がないのだから、おむつをしたらいいじゃないか、と言われても、ぎりぎりまで、ポータブルトイレで用をたす事にこだわるのは、自律存在を失いたくないという思いのあらわれなのです。
 私が仕事で英国滞在中にお世話になった、チャップマン教授の奥様であるベロニックと午後の紅茶でお話しした時のことです。老後の介護の問題について欧米と日本の違いが話題になりました。日本では親の老後は子供が面倒をみるのが義務です。しかし欧米では国家が社会保障でみるようで、年老いた親を子供が同居で面倒をみるという習慣はないそうです。そのとき彼女はこういいました。
「私はマシュー(彼女の長男)のおむつを取り替えたわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私がマシューにおむつを替えてもらわなければいけないの。それじゃ私、母親じゃなくなってしまうわ。」
日本型の介護システムは、介護される患者側に、この種の自律存在喪失によるスピリチュアルペインを呼び起こすのです。
 自律を失った人は、自分はもう何も出来なくなった、役に立たない人間になった、という想いに苦しめられます。我々の生きている社会が、できるという、自律を前提とした生産性に価値をおく社会だからだと解釈されています。人は「あいつは使えない奴」という評価を気にします。逆に「あいつは使える奴だ」という評価を求めます。
だから、自分が使えない存在だと感じた時、生きる価値や意味を失ってしまうのです。自律を失い「何も出来ない」「使用価値がなくなったから生きていてもしかたがない」と感じる苦しみは、「できる」「使用価値がある」が自分の存在に価値を与えてきた事によるものです。
「自分が役に立たなくなった」という思いは、自己選択肢の大切な存在を失う事を意味します。
 このスピリチュアルペインは、いわゆる老人病院や老健施設で多く見られます。例えば、風呂に入れないから身体がかゆいという苦しみは、入浴介助をしてもらって入浴できれば問題が解決しますが、自力で風呂に入れない自分が情けないという苦しみは、入浴介助で入浴できても、何の解決にもならないのです。
 認知症はスピリチュアルペインの塊です。アルツハイマー型認知症は、惚けている時と、比較的正常にみえる時とが交互にやってきます。素っ裸に近い状態で徘徊していて、突然正常な状態に戻った時、「どうして俺はこんな恰好をしているのだ、俺の頭はどうなってしまったのだ」という思いと同時に、周囲の冷たい、奇異の目を感じるのです。
どれほどのスピリチュアルペインか、容易に想像がつくと思います。しかも、妻や夫、子供の顔も分からなくなります。誰でも、初めて会った人と話す時には、緊張しますよね。認知症になると、それが妻や子供と会った時まで、そういうストレスに晒されるのです。

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