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2017年1月 6日 (金)

時宗二祖 他阿真教上人のご病気について(1)

Photo_2 平成三一年(二〇一九)には、時宗二祖他阿真教(たあしんきょう)上人七百年御遠忌があります。この真教上人こそが、現在の時宗教団をつくられた方です。

正応二年(一二八九)八月二三日に宗祖一遍上人がお亡くなりになります。このとき厄介な問題が起こりました。カリスマ性をもった教祖の死が、教団の終末を意味する場合、残された信者や高弟達は、その存在価値を失い、教祖の後を追うようにして、集団自殺の危険性が高まることが知られています(これを群発自殺(ぐんぱつじさつ)といいます)。

この時点の時衆(時宗教団に従う出家者と結縁者)もまさにこの危機に陥りました。捨て聖を全うした一遍上人は、教団存続を積極的に望まれなかったために、後継者の指名を行わず、静かに息を引き取りましたので、行き場所を失った大勢の時衆だけが残されました。

実際にその後、目の前の海に身投げをして自殺する時衆が七人いました。真教上人は、彼の周囲に集まった、行き場を失った大勢の時衆を引き連れて、死に場所を求めて彷徨の旅を余儀なくされました。

しかし丹生山(たんじょうさん)で粟河(あわ)の領主に出会い、御賦算(ごふざん)したことを契機に、集団自殺を思いとどまり、真教上人を時宗二祖として、再び遊行が再開されました。後に真教上人は、彼に付き従う時衆が再び路頭に迷うことがないように、しっかりとした教団形成を行いました。

その真教上人は晩年「中風(ちゅうふう)」をわずらった、という言い伝えがあります。中風とは、脳出血や脳梗塞により、運動障害や言語障害のある状態を示す、古い言葉です。この絵をご覧になってください。
一遍、真教両上人の伝記である『一遍上人縁起絵(いっぺんしょうにんえんぎえ)』巻八にある真教上人のお顔です。右側の顔面がゆがんで見えます。現在残されている真教上人の絵や仏像には同様に、右側半分の顔面がゆがみ、右目をすがめた特徴的なお顔となっているものが、いくつかあります。しかし正式な伝記類には、中風を想像させるような記載は残されていません。
ドクター ミネは、この伝承が医学的に見て間違っていると考えています。右顔面がゆがんでいますので、もし中風であったとしたら、左側の脳に梗塞なり出血が起こったことになります。そうなると右側の上下肢と言語機能が傷害されます。真教上人は六十八歳の時に遊行を智得上人に譲って、無量光寺に隠居されますが、隠居後も弟子達の要望に応えてあちこちに出向いておられましたし、八十三歳でお亡くなりになるまで、手紙も書いておられました。
右手、右足が不自由な高齢者が、そもそも徒歩による旅をしますか?まめに手紙を書いたり、和歌を書き残すことが可能でしょうか?現代医療においても、脳出血、脳梗塞は後遺症が問題となります。治療法もなく、リハビリの概念すらなかった鎌倉時代に、ひとたび中風がおこったら、顔面以外の麻痺(まひ)が完全回復するなど、常識では考えられません。
おそらく中風ではなく、突然発症した、末梢性顔面神経麻痺ではないかと考えています。この病気は現在でも、脳卒中との鑑別が必要なる疾患ですので、当時の人が中風と思ったのは無理がないと思います。
 では次回は、時宗僧侶でもあるドクター ミネこと、峯崎賢亮が謹んで、他阿真教上人が晩年わずらったと思われる、末梢性顔面神経麻痺(まっしょうせいがんめんしんけいまひ)についてお話しいたしします。

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