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2018年9月 3日 (月)

医聖 田代三喜翁木像と蓮池山無量院一向寺の関連

 本堂に向かって左の部屋に安置しております木像は医聖 田代三喜(たしろさんき)です。
田代三喜は室町時代末期の偉大な医師であり、医学教育者でした。特に、田代三喜とその直弟子である曲直瀬道三(まなせどうさん)(1507-1594)、永田徳本(ながたとくほん)(1513-1630)は、医聖と呼ばれています。
日本医学中興の祖ともいわれていますが、その功績は単に、当時としては最新の漢方医学を日本に導入したということばかりではありません。「医師が、医学生や研修医に対して医学教育をする」という、現代では万国共通のしくみを、愛弟子である曲直瀬道三とともに作り上げたことです。
これこそが「我が邦(くに)、名医多しといえども、像祀(ぞうし)せらるるは、古来ただ鑑真(がんじん)と田代三喜とあるのみ」(富士川游『日本医学史』)と、その功績が鑑真と並び称されてきた所以(ゆえん)です。
その功績を認めていた方が北里柴三郎博士であり、自らが会頭をつとめた第二回医学会総会(明治26年4月4日-10日)では、かつて日本の医療を支えてきた医師達の功績を忘れないようにと「医家先哲遺物陳列会」を開催しました。当時一向寺に安置していた田代三喜像も陳列され、多くの医家に感銘(かんめい)を与えました。

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