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2020年1月23日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第一回

 ドクターミネも満六十二歳になった。「ドクターミネの毒舌健康法話」は、平成三十年秋彼岸号まで六十二回連載してきた。このコーナーを引き受けた頃は、四十代の現役内科医師で、健康法話はいくらでも書けると思っていた。血圧を測るたびに一喜一憂する愚かさを、からかってやろうという気持ちから、第一回目は血圧について書いた。たばこの害について講演する機会があり、それをきっかけに、たばこについて書いたら、ある愛煙家のご老僧から「君が余計な事を書くから、妻にしかられた」と笑いながら言われたこともあった。たばこの害だけ取り上げて、アルコールの害に目をつぶるのは公平ではないので、アルコールについても書いた。毎年三万人以上の自殺者が問題になっていたこともあり、その原因となる疾患「うつ」についても、また緩和ケア病棟で問題となるスピリチュアルペインについても連載した。胃瘻のことで相当悩んだ、という檀家の話をきっかけに、胃瘻を含めた終末期医療についても連載した。しかし、常勤の内科医をやめてすでに十二年、非常勤の内科医をやめて二年になる。

 かつては「患者からのまなざし」になんとか応えようと努力する医師であった。しかし現在は、自分が患者となり、「患者からのまなざし」を送る側になっている。確か昭和の終わりに修得した、総合内科専門医を昨年辞退し、平成の初めに修得した、循環器専門医を今年辞退した。この現状を鑑みれば、いつまでも偉そうに「毒舌健康法話」など、書き続けてよい訳はない。

 一方で、自分が患者になって、つまり「診る側」から「診てもらう側」になって色々と気づいたこともある。また住職になって十年になるが、檀家と話をしていると、自分が医師の時代、終末期にある患者の家族に充分説明してきたと思っていたが、実はあまり伝わっていなかった事にも気づいた。「あの時の私達の決断は間違いなかったのですね、しかたがなかったのですね」と涙ながらに同意を求められると、なおさらである。

 「ドクターミネの毒舌健康法話」を書き始めた頃に比べると、歯も二本抜け、老眼になり、耳も遠くなった。ちょっとした段差にもつまずく。しかし悪いことばかりではない。あの頃に比べて、一日、一日が愛おしく感じられるようになったし、人生を噛みしめる力というものがあるならば、あの頃よりも確実に、その噛みしめる力は増しているようにも思う。

 そこで今後のドクターミネの健康法話は、「老・病」を見つめる法話に変更しようと思う。当然その先には「死」がある。いつまで続けられるかわからないが、思いつくまま、気の向くまま書くことを許していただける間は、書き続けようと思う。

 最近意識していることだは、階段の上り下りに関して、上りよりも下りに注意をしている。まずは平地を歩く場合を考えてみる。右足を一歩前に出すためには、右足をいったん宙に浮かせなければならず、着地するまでの間は、左足一本に全体重がかかることになる。そして着地と同時に右足は、前方に進むための慣性力を受け止めなければならない。階段を上る場合、自然落下しようとする身体とは逆の方向に動くので、身体を持ち上げるための筋力が必要となる。ただ、身体が前のめりになるので、階段と目の距離が近くなり、危険も察知しやすい。もしつまずいても、すぐに手がつけるので、防御態勢がとりやすい。しかし階段を下りる場合はそうはいかない。身体は自然に落下するので、その落下に対する慣性力と全体重を、着地する足が受け止めなければならない。しかも階段と目の距離が離れるため、年を取って目が弱ってくれば、危険を察知しにくくなる。もしつまずきでもすれば……。ドクターミネは、駅の階段の場合、筋力維持のために、上りは積極的に階段を利用するが、下りはエスカレーターを利用するか、なければ手すりを利用することにしている。

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