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2020年2月 1日 (土)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第五回

 早朝覚醒(そうちょうかくせい)という言葉がある。要は朝早く目覚めてしまうことである。病的なものとしては、うつ病の一症状として知られている。ドクターミネがまだ現役内科医であった四十台後半、あまりの忙しさに精神的に抑うつ状態になり、ただでさえ寝付きが悪いのに、すぐに目が覚めてしまうため、寝床で悶々(もんもん)とした経験がある。では六十を過ぎた現在ではどうか。特に抑うつ状態でなくとも、朝五時前に必ず目が覚める。時には「朝刊配達」の物音に寝床で気づくことすらある。小用のため目が覚めるのか、目が覚めるから小用をもよおすのかは、その時々による。ただ、トイレに起きた後、いわゆる「二度寝」が困難になってきた。晩酌のおかげだと思うが、寝付きは悪くないが、たまに設けた「肝休日」は寝付きが悪いのに、早朝覚醒は同じようにある。酒は「百薬の長」である。間違いない!

 ドクターミネが還暦を迎えた年に、ある檀家様がおっしゃった言葉が、いつも心に残っている。

「六十代は色々な意味で、春夏秋冬がある」

年寄りは早起き、と相場は決まっている。これが六十代の現実ならばしかたがない。これを受け入れて、早朝覚醒をどう対処するか、ないしはやりすごしか、が勝負となる。

 ドクターミネにとっては、睡眠薬を服用する、というのは最後の手段である。現代の代表的な、ベンゾジアゼピン系睡眠薬は、アルコールを呑んだ後に服用すると、一過性前向性健忘(いっかせいぜんこうせいけんぼう)をきたすことが知られている。これは、酒好きな友人の経験談である。晩酌でアルコールを呑んで居眠りをしたが、すぐに目覚めてしまったために、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を服用して眠った。翌日の夕方、突然駐車場で、意識を取り戻した。その間のことをまったく記憶しておらず、しかし周囲の人に尋ねると、普通に車で出勤して仕事をしていたそうである。それ以降彼は、恐ろしくなったようで、断酒ではなく「断睡眠薬」をしている。また終末期となった、酒呑みの高齢患者が、亡くなる一週間前に、どうしても酒を呑みたいというので、日頃から愛飲していた日本酒を一口呑ませた時の感想が、次の言葉である。

「うまくねえや」

ドクターミネは、酒を口にして「うまくねえや」と感じる時期がきたら、眠るために、睡眠薬でも何でも服用するつもりである。

 午前四時ぐらいに小用で起きて、眠れないからといっても、仕事をする気力はわかない。かといって、起き出してごそごそしていると、我が家の「山の神」に叱られる。一人静かに、寝床に横たわっているしかない。念仏門の祖師である一向上人の和讃には「行住坐臥の勤め(念仏)には 威儀も作法もなかりけり」とある。歌手美空ひばりのヒット曲「柔」の一節にも「行くもとまるも坐るも臥すも 柔一筋」とある。この際、念仏の信者であり、念仏門の僧侶でもあるドクターミネの場合、念仏を称える以外の選択肢は思い浮かばない。そこで、声にならないような声で南無阿弥陀仏を称えていると、うとうとしてくることがある。これはまだ許せる。しかし何の脈絡もなく、突然妄想がわいてくることがある。正直、そういう自分に自己嫌悪していたが、最近、宗教学者の山折哲雄先生の言葉に感銘を受けた。この言葉に出会って、老いていくのも悪くないかも知れないと思えた。

早暁(そうぎょう)にはもう目覚めて、妄想のときを愉しんでいる。(中略)寝床の中の妄想三昧、この世とあの世をつなぐ、グレーゾーンの徘徊である」(『大法輪』令和元年七月号より)

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