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2020年2月

2020年2月 4日 (火)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第六回

 死は自らにとっては概念である。ドクターミネはかつて、存在を構成している「時」には「実」体験の「時」と、想定や期待といった、体験という意味では「虚」の「時」があり、死はあくまでも知識として理解しているという点で、自らにとっては「虚」の「時」であると論じた(『中外日報』平成二六年五月二一日号)。霊長類学者の水原洋城先生もまた「死は概念である」とおっしゃっていた。死を理解する為には概念化が必要であり、概念化するためには言葉が必要であるという。ドクターミネは、机上の哲学的思考から到達した結論だが、先生はニホンザルの研究からこの結論に達した(新谷尚紀著『お葬式』より)。子供の頃飼っていた猫が子猫を生んだが、まもなく死んでしまった。母猫はそれでも、死んだ子猫をどこに行くにもくわえていく。そのうち腐敗も始まったので、母猫がえさを食べている隙を見て、子猫を埋葬した。しばらくの間親猫が、鳴きながら子猫を探していた光景を忘れることができない。水原先生は、ニホンザルの母猿が、死んだ子猿をずっと持っているのは、今まで乳を吸っていた子猿が急に吸わなくなってしまい、どうしたらいいか、わからないからだという。子供の頃の記憶にあるあの猫も、同じだったのだろう。猿の場合、群れで暮らす動物であるため、死が近づいて弱ると、群れに置き去りにされ、遂には野犬などに食べられる運命にあるという。野生動物の場合、子育てが終了すると、親は子を突き放す。ところがペットは、親子でずっと一緒に暮らすケースがあり、「親の死」を目撃する場合もある。

 三十年近く前の話である。ドクターミネの寺房に、白い犬が、大きなお腹を抱えてやってきた。どうやら、去勢もせずに飼っていた近所の飼い主が、飼いきれなくなったために、引っ越しの際に置き去りにしたようだ。元々飼い犬であったためか、えさを与えると、初めはおそるおそるであったが、寄りつくようになり、遂には本堂の縁の下で子犬を出産した。母犬似の白い子犬は総代様にもらっていただき、茶色の子犬は子供達があまりにかわいがるので「チャコ」と名付けて、母犬「シロ」と共に飼うことにした。その後母犬「シロ」は亡くなったが、死因はおそらく、フィラリアによる肺塞栓症であった。病気の性格上、チャコの目の前で突然亡くなった。チャコはその後一週間、まったくえさを食べず、ずっと鳴いていた。チャコは乳離れした後も、ずっと母犬シロと暮らしていたが、総代様にもらって頂いた、シロが生んだ犬を、一度だけシロにあわせたことがある。すでに成犬となっていたためか、シロは歯をむいて怒りをあらわにして、自分の生んだ娘を追い払ったのである。同じ時に生まれたチャコに対しては全く見せない姿であった。

 水原先生がおっしゃるように、チャコは、母犬であるシロが死んだことを理解して鳴き続けた訳ではないのだろう。しかし、犬には犬の理屈があることを、このチャコから学んだ。

 シロが本堂の縁の下で子犬を生んだとき「阿弥陀様からのプレゼントだから、一向寺で飼うべきだ」との叔父の言でもあり、大きな犬小屋を用意して、境内で飼い出した。この叔父は口だけで出して、別にえさをやるわけでもなく、散歩をさせる訳でもなく、何もしたことがないのに、この叔父が来ると、なぜかシロもチャコも、狂喜乱舞するが如く喜んだ。その叔父が亡くなった時には、すでにシロは亡くなっていたが、チャコはいた。まだ叔父の死が知らされる直前、なぜか散歩の時チャコは、この日に限って叔父の家に行こうとした。そして家の前で止まり、家の上の方をずっと見ていた。道を変えても、またそこに戻って、家の上を見続けた。やむなく強制的に引っぱって家に帰ると、その叔父の死を知らせる電話が入ったのである。

2020年2月 1日 (土)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第五回

 早朝覚醒(そうちょうかくせい)という言葉がある。要は朝早く目覚めてしまうことである。病的なものとしては、うつ病の一症状として知られている。ドクターミネがまだ現役内科医であった四十台後半、あまりの忙しさに精神的に抑うつ状態になり、ただでさえ寝付きが悪いのに、すぐに目が覚めてしまうため、寝床で悶々(もんもん)とした経験がある。では六十を過ぎた現在ではどうか。特に抑うつ状態でなくとも、朝五時前に必ず目が覚める。時には「朝刊配達」の物音に寝床で気づくことすらある。小用のため目が覚めるのか、目が覚めるから小用をもよおすのかは、その時々による。ただ、トイレに起きた後、いわゆる「二度寝」が困難になってきた。晩酌のおかげだと思うが、寝付きは悪くないが、たまに設けた「肝休日」は寝付きが悪いのに、早朝覚醒は同じようにある。酒は「百薬の長」である。間違いない!

 ドクターミネが還暦を迎えた年に、ある檀家様がおっしゃった言葉が、いつも心に残っている。

「六十代は色々な意味で、春夏秋冬がある」

年寄りは早起き、と相場は決まっている。これが六十代の現実ならばしかたがない。これを受け入れて、早朝覚醒をどう対処するか、ないしはやりすごしか、が勝負となる。

 ドクターミネにとっては、睡眠薬を服用する、というのは最後の手段である。現代の代表的な、ベンゾジアゼピン系睡眠薬は、アルコールを呑んだ後に服用すると、一過性前向性健忘(いっかせいぜんこうせいけんぼう)をきたすことが知られている。これは、酒好きな友人の経験談である。晩酌でアルコールを呑んで居眠りをしたが、すぐに目覚めてしまったために、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を服用して眠った。翌日の夕方、突然駐車場で、意識を取り戻した。その間のことをまったく記憶しておらず、しかし周囲の人に尋ねると、普通に車で出勤して仕事をしていたそうである。それ以降彼は、恐ろしくなったようで、断酒ではなく「断睡眠薬」をしている。また終末期となった、酒呑みの高齢患者が、亡くなる一週間前に、どうしても酒を呑みたいというので、日頃から愛飲していた日本酒を一口呑ませた時の感想が、次の言葉である。

「うまくねえや」

ドクターミネは、酒を口にして「うまくねえや」と感じる時期がきたら、眠るために、睡眠薬でも何でも服用するつもりである。

 午前四時ぐらいに小用で起きて、眠れないからといっても、仕事をする気力はわかない。かといって、起き出してごそごそしていると、我が家の「山の神」に叱られる。一人静かに、寝床に横たわっているしかない。念仏門の祖師である一向上人の和讃には「行住坐臥の勤め(念仏)には 威儀も作法もなかりけり」とある。歌手美空ひばりのヒット曲「柔」の一節にも「行くもとまるも坐るも臥すも 柔一筋」とある。この際、念仏の信者であり、念仏門の僧侶でもあるドクターミネの場合、念仏を称える以外の選択肢は思い浮かばない。そこで、声にならないような声で南無阿弥陀仏を称えていると、うとうとしてくることがある。これはまだ許せる。しかし何の脈絡もなく、突然妄想がわいてくることがある。正直、そういう自分に自己嫌悪していたが、最近、宗教学者の山折哲雄先生の言葉に感銘を受けた。この言葉に出会って、老いていくのも悪くないかも知れないと思えた。

早暁(そうぎょう)にはもう目覚めて、妄想のときを愉しんでいる。(中略)寝床の中の妄想三昧、この世とあの世をつなぐ、グレーゾーンの徘徊である」(『大法輪』令和元年七月号より)

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