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2020年7月21日 (火)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第七回

 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)大流行のため緊急事態宣言が出された、令和二年四月にこの原稿を書いている。一番衝撃を受けたのは、同い年の女優、岡江久美子氏が本病で亡くなられたことである。皆様方がこの記事を目にするお盆までに、終息するとは思えない。各地で医療崩壊が起こり『遊行』を読むどころではないという状況を危惧している。いや、ドクターミネ自身が感染して、「お浄土の人」になっているかもしれない。内科医としてはもはや、何のお役にも立たない老兵である小衲は、現役医療者が、燃え尽きないように毎日祈っている。弓の弦が張りすぎれば、最後は断裂してしまうように、緊張状態が続けば、遂には燃え尽きてしまう。一度燃え尽きてしまうと、そこから復活するまでに相当の時間を要する。場合によっては、一生医療者として、職場に復帰できなくなる人さえいる。

 

 現場の医療者は、ただ「目の前の患者」のために己を奮い立たせる。医師としての矜恃、看護師としての誇り、PCR検査は私達にしかできない、という検査技師の強い責任感で、最前線に踏みとどまっている医療関係者によって、現場が支えられている。しかも彼らには家族がいる。自らの身を守ることは、家族の身を守ることであり、それが同時に患者の身を守ることにもつながる。そのための防護服や医療用マスクがここに来て、底をついているという。このままでは、ぎりぎりのところで頑張っている勇士を、丸腰で最前線に立たせることになる。この問題だけは、最優先で解決しなければならない。

 

 新型コロナウィルスとの闘いは「戦争」にもたとえられている。戦争で思い出した事がある。第一次世界大戦を終戦に導いた陰の立て役者は、「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザであった。もちろん日本も例外ではなく、推定患者数二千万人が罹患し、二十五万人が死亡したという。新型コロナウィルスは中国武漢から世界中に拡散したが、「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザの発生起源には諸説あるようだ。

 

 この大戦に軍医として参戦したアルフレッド・アドラーは、戦争体験から「共同体感覚」という概念を提唱した。彼は「人生の意味は全体への貢献である」「私に価値があると思えるのは、自分の行動が共同体にとって有用であるときである」という。例えばドクターミネの場合「古河市民」「茨城県民」「日本国民」といった「地域」という共同体の中にいる。アドラーがいうように、私が所属している共同体の一員として、特にこのウイルス禍の状況の中で、私に価値があると思えるような有用な行動とは何か。誰もが賞賛するような積極的な有用行動など、期待すべくもない。畢竟、消極的な方法ではあるが、コロナウィルスに罹患しないための行動をとる、これに尽きるであろう。小衲が罹患すれば、ぎりぎりで頑張っている現役内科医の足を引っぱることになる。周囲の人にウイルスを拡散すればなおさらだ。住職としての仕事ができなくなれば、それを代務する方々にも負担をかける。「私、昔のようにガーゼでマスクを作って、それをしているの」とおっしゃる檀家の高齢婦人がいた。マスクがないと嘆くぐらいなら、作ればいい。手洗いを徹底し、「三密」環境を避ける。当たり前のことを、継続して実行するのは決して容易なことではないが、現在の小衲にとっては、共同体の一員としての、唯一無二の有用な行動は、その当たり前のことを実行する事、それこそが私の存在価値なのであろう。

 

 来年は、延期になった東京オリンピックをぜひ開催してほしい。今こそ、「共同体の一員」としての自覚を持ち、その共同体に対して有用な行動を意識する必要に迫られている。それは大それた事ではない。「ほしがりません、コロナが終息するまでは」に尽きるのかも知れない。

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