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2021年1月

2021年1月27日 (水)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十回

 最近では、夢を見るのを楽しみに、眠りについている。年のせいか、懐かしい人が、夢の中にしばしば現れる。しかも、出逢った時の、あの頃のままで登場するのも嬉しい。そんな時にはしばらくの間、布団の中で余韻をたのしむ。一方、嫌な奴が現れたら、とっとと忘れて、次の夢に期待して、もう一度目をつぶる。

夢といえば、夢判断を用いて精神分析をした、オーストリア出身の精神科医ジークムント・フロイト(一八五六―一九三九)を思い出す。彼の言葉に、

「夢は現実の投影であって、現実は夢の投影である」

とあるように、夢には無意識の領域に蓄積された記憶が反映されるという。すべてではないにしても、確かに、肯首出来る夢もある。

ただ、これを執筆し始めた一月七日には、東京、神奈川、埼玉、千葉の一都三県に緊急事態宣言が発令された。大阪、京都、兵庫も政府に要請中であるという。かつての同僚や後輩医師方が、必死で新型コロナウィルス感染症と戦っている最中、惰眠(だみん)を貪っている我が身を省みて、忸怩(じくじ)たる思いを払拭(ふっしょく)することはできない。

 睡眠は、自分の心の状態の、バロメーターになる。抑うつ的になれば不眠、早朝覚醒(そうちょうかくせい)が生じ、逆に気力が出ずに、寝てばかり、ということにもなる。ドクターミネが勤務医であった最後の二―三年は、猛烈に忙しかった。その要因は、新病院への引越しと機能拡大に加えて、新研修医制度に移行するために、地方の中核病院では急激に医師不足となり、開店休業状態の病院が続出し、辛うじて医師を確保できていた、勤務先の病院に患者が集中した事であった。過労は精神を徐々に蝕んでいく。楽しみの晩酌では、徐々に酒量が増加していった。眠りについても、すぐに目覚めてしまい、その後は眠れず、悶々としながら、起床時間を迎えた。それが早朝覚醒であることに、しばらくの間、気づかなかった。抑うつ的になると、身体症状が現れるが、これも知識としては知っていたが、我が身に起こるとは思ってもいなかった。そして遂に、同年齢の友人であるH医師が体調を崩して退職する事になった。退職届を提出した日、医局で顔を合わせたが、彼はこう言った。

「ミネちゃん。ミネちゃんも頑張りすぎると、俺みたいになるぞ」

 過労による疲弊(ひへい)は、人間を精神的に追い詰め、心が抑うつ的となる。ここで気づいて手を打つことができれば回復は容易だが、放置すれば、うつ病を発症する。うつ病を発症してしまうと、完全に回復するには大変な時間を要する。しかもうつ病は、時として人を自死にまで追い詰める。医療体制も同じである。この新型コロナウィルス感染症で、医療現場は疲弊し、悲鳴を上げている。現時点では、辛うじてギリギリ持ち堪えているにしても、この先、有効な策を講じることができなければ、医療崩壊が確実に起こる。一度崩壊が始まると、ドミノ倒しの如く、次々と崩壊が連鎖する。一度崩壊してしまうと、もう一度立て直すことは、極めて困難になる。

 わかってはいるが、今のドクターミネができることといったら、悲しいかな、毎朝の勤行で、医療現場が疲弊して燃え尽きないように祈ることと、自分が新型コロナに感染して、医療現場の方々に御迷惑をかけないように、感染予防に細心の注意を払うことしかない。

 それにしても、友人のH医師には、あの日別れて以来、一度も会っていない。どうしているのであろうか。鈴木雅之氏の歌の一節を思い出した。

「夢でもし逢えたら 素敵なことね」

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第九回

 昨年は、新型コロナウィルス感染症に振り回された。この感染症に関して、専門家と呼ばれる人達の、色々な意見を聴いていて、ふと師匠の言葉が(よみがえ)った。

 ドクターミネの研修医時代の師匠であるH教授は、威厳があり、大変厳しかった。まさに「雷親父」であった。そんな厳しいH教授に対して我々医局員は内々で、畏敬の念をこめて「おやっさん」を縮めた「おっさん」という愛称で呼んでいた。当時の研修先大学病院にはその道の大家と呼ばれる有名教授が結構いて、師匠の「おっさん」もその一人であった。

 受持患者が専門外の病気をもっている場合、その専門領域の医師に診察を依頼してご意見を仰ぐ。ある時ドクターミネが、受持患者の診察依頼を出して、診察して下さったのが有名なM教授であった。そこでM教授のお見立てに従い、治療したことを、教授回診で胸を張って発表したところ、師匠の「おっさん」から、「お前は、いつからMさんの使い走りになったのだ」と烈火の如く怒鳴られた。大家のM教授のお見立て以上のものが、どこを探せば出てくるというのか。その時は、まったく理不尽なことで怒鳴られたと思った。

 後日、病院の職員食堂で、一緒に昼食を食べる機会があった。師匠の「おっさん」はとても機嫌が良さそうだったので、あの時何故叱られたのかを、おそるおそる質問した。すると「おっさん」は

「大家と呼ばれるような専門家でも、常に正しい判断をするとは限らない。またその判断が正しくとも、受持患者にとってその治療が、本当に今、必要かどうかは別問題である。自分のわからないことを専門家に尋ねるのは重要だが、専門家の言うことだから、偉い先生の言うことだからといって鵜呑みにするのが一番駄目だ。診察結果をみたらまず、自分で考えろ。わからなければ調べ、疑問があれば、何度でも問い直せ。その上で、自分が本当に納得できたら、自分の意志でその治療を行え。それが主治医の責務である」

 後年ドクターミネが指導医になった時、師匠の「おっさん」のこの言葉を、牛の反芻(はんすう)の如く、思い出しては(か)みしめた。

 コロナ対策のために、マスク着用、三密を避ける、手洗いが推奨されている。そもそもウィルスは、その大きさを考えれば、マスクの繊維間の隙間を素通りできるが、最近動物実験で、コロナウィルスの拡散に、マスクがある程度効果がある、との結果が得られた。集団発生した事例を、飛沫(ひまつ)感染の面から検討した結果、密閉・密集・密接という共通項が見つかった。また、接触感染予防には昔から手洗いが推奨されてきた。しかしこれらは、臨床研究に基づいて、その有効性が確かめられた訳では無い。

 ここにきてワクチン問題が出てきた。世界中で、特に米中が競争でワクチン開発に乗り出している。天然痘(てんねんとう)のように、予防接種で病気自体を完全に制圧できればいいが、よく対比されるインフルエンザの予防接種の効果と同程度であれば、完全に予防することはできない。ましてやワクチンには重大な副作用がついてまわる。通常ワクチン開発には十年かかると言われているが、今年中にワクチンが完成するとの報道もある。だからこそ、ワクチンを受けるか否かは、師匠の「おっさん」がいうように、まずは自分で充分考える必要があるが、そのためには相当の基礎知識が必要になる。よく「私は専門家ではないからわからない」という人がいるが、自分の一大事に関し、その言い訳を誰に向かってするのか、ということになる。結局、信用できる誰かに相談した上で決断するしかない。テレビに出てくる専門家は言い放しで責任がない。それを考えると、「かかりつけ医」の先生に相談するのがベストであろう。それをもとに自分で考え、自分の意志でワクチンを接種するか否かを判断するしかない。

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