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2021年1月27日 (水)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第九回

 昨年は、新型コロナウィルス感染症に振り回された。この感染症に関して、専門家と呼ばれる人達の、色々な意見を聴いていて、ふと師匠の言葉が(よみがえ)った。

 ドクターミネの研修医時代の師匠であるH教授は、威厳があり、大変厳しかった。まさに「雷親父」であった。そんな厳しいH教授に対して我々医局員は内々で、畏敬の念をこめて「おやっさん」を縮めた「おっさん」という愛称で呼んでいた。当時の研修先大学病院にはその道の大家と呼ばれる有名教授が結構いて、師匠の「おっさん」もその一人であった。

 受持患者が専門外の病気をもっている場合、その専門領域の医師に診察を依頼してご意見を仰ぐ。ある時ドクターミネが、受持患者の診察依頼を出して、診察して下さったのが有名なM教授であった。そこでM教授のお見立てに従い、治療したことを、教授回診で胸を張って発表したところ、師匠の「おっさん」から、「お前は、いつからMさんの使い走りになったのだ」と烈火の如く怒鳴られた。大家のM教授のお見立て以上のものが、どこを探せば出てくるというのか。その時は、まったく理不尽なことで怒鳴られたと思った。

 後日、病院の職員食堂で、一緒に昼食を食べる機会があった。師匠の「おっさん」はとても機嫌が良さそうだったので、あの時何故叱られたのかを、おそるおそる質問した。すると「おっさん」は

「大家と呼ばれるような専門家でも、常に正しい判断をするとは限らない。またその判断が正しくとも、受持患者にとってその治療が、本当に今、必要かどうかは別問題である。自分のわからないことを専門家に尋ねるのは重要だが、専門家の言うことだから、偉い先生の言うことだからといって鵜呑みにするのが一番駄目だ。診察結果をみたらまず、自分で考えろ。わからなければ調べ、疑問があれば、何度でも問い直せ。その上で、自分が本当に納得できたら、自分の意志でその治療を行え。それが主治医の責務である」

 後年ドクターミネが指導医になった時、師匠の「おっさん」のこの言葉を、牛の反芻(はんすう)の如く、思い出しては(か)みしめた。

 コロナ対策のために、マスク着用、三密を避ける、手洗いが推奨されている。そもそもウィルスは、その大きさを考えれば、マスクの繊維間の隙間を素通りできるが、最近動物実験で、コロナウィルスの拡散に、マスクがある程度効果がある、との結果が得られた。集団発生した事例を、飛沫(ひまつ)感染の面から検討した結果、密閉・密集・密接という共通項が見つかった。また、接触感染予防には昔から手洗いが推奨されてきた。しかしこれらは、臨床研究に基づいて、その有効性が確かめられた訳では無い。

 ここにきてワクチン問題が出てきた。世界中で、特に米中が競争でワクチン開発に乗り出している。天然痘(てんねんとう)のように、予防接種で病気自体を完全に制圧できればいいが、よく対比されるインフルエンザの予防接種の効果と同程度であれば、完全に予防することはできない。ましてやワクチンには重大な副作用がついてまわる。通常ワクチン開発には十年かかると言われているが、今年中にワクチンが完成するとの報道もある。だからこそ、ワクチンを受けるか否かは、師匠の「おっさん」がいうように、まずは自分で充分考える必要があるが、そのためには相当の基礎知識が必要になる。よく「私は専門家ではないからわからない」という人がいるが、自分の一大事に関し、その言い訳を誰に向かってするのか、ということになる。結局、信用できる誰かに相談した上で決断するしかない。テレビに出てくる専門家は言い放しで責任がない。それを考えると、「かかりつけ医」の先生に相談するのがベストであろう。それをもとに自分で考え、自分の意志でワクチンを接種するか否かを判断するしかない。

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