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2021年6月

2021年6月13日 (日)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十一回(令和3年お盆)

 思い返すと、昨年4月に新型コロナウィルス感染症のため緊急事態宣言が出される事態となった。この未曾有の出来事に、日本中が揺れたが、未だに終息されていない。延期された東京オリンピック開催がどうなるのか、心配しながら、これを執筆している。

 その影響を受けて、昨年五月の当山大施餓鬼法要は、従来の法話は中止して、檀家様方には本堂内ではなく、境内にて法要にご参加いただいた。十一月の開山忌法要では、境内で法要にご参加いただいた檀家様方に、法要前、新型コロナウィルス感染症についてお話をした。コロナウィルスはインフルエンザ同様RNAウィルスであり、変異しやすいため、その変異型が感染力の強い方向に変異する可能性が高いことを指摘した。この「不安」は、残念ながら的中した。一方で人類は、ウィルス感染症の対策として、種痘以来、ワクチン接種で対抗してきた。ワクチンが完成して、ワクチン接種が始まれば、終息の方向に使うはずだ、という「希望」も話したが、現在着々とワクチン接種が始まっている。ただ、通常ワクチン開発には十年かかると言われているのを、わずか一、二年で市場に出すためには、有効性と副反応のチェック期間を削るしかない、という問題点も指摘したが、この「不安」だけは完全には払拭されていない。それを承知の上で、ドクターミネは六十五歳以上の高齢者枠で、ワクチン予約した。そして今年五月の当山大施餓鬼法要の法話では、「不安」「希望」という感情について話をした。この法話の内容は、一向寺ホームページに公開する予定である。

 コロナ自粛で寺坊にいる時間が増えたため、勉強の時間は確実に増えた。次男が生命科学の勉強をしていた事もあり、改めて遺伝子などの基礎医学の勉強を始めた。また今まで「積読」状態にあった書物も読み出した。かつて大学院生時代、実際の研究に役立つとも思えないようなシステム理論について、N教授からマンツーマンで習い、また電子軌道や量子論の初歩をI先生から習った。この時必死でまとめたノートは、もう必要ないだろうと思って、昨年実行した断捨離で全て処分した。それが今になって、もう一度勉強してみたくなった。

 ドクターミネが私淑(ししゅく)する医師に、岡部健(おかべたけし)先生がいる。本人にお会いした時、隣町の栃木県小山市出身だとおっしゃっていた。末期癌患者を在宅で看取るという、在宅緩和ケアのパイオニアである。その岡部先生自身が胃癌となり、母校の東北大学で手術を受けて療養中、あの東日本大震災に被災された。緩和ケアには、日本的死生観を心得た宗教者が必要である、との実感を、自らが臨床教授をしていた東北大学に、臨床宗教師養成講座という形にされた。臨床宗教師という言葉も先生自身の発案だときいている。その先生は、ご自身が築き上げた在宅ケアグループ「爽秋会(そうしゅうかい)」のメンバー、その一人でもある臨床宗教師第一期生の髙橋悦堂師、そしてご家族の方々に見守られながら、二〇一二年九月二十七日、六十二歳の生涯を閉じられた。そのわずか六日前に、先生自身が望まれた相手、カール・ベッカー氏との対談記録が同年の『文藝春秋』十二月号に掲載された。ベッカー氏が「ところで、身体の具合はいかがですか?」という質問に対して先生は

「順番に欲望が取っ払われていくんだな。まずは性欲がなくなって、それから物欲。さらに食欲が衰えて、最後まで残っていたのが知識欲。今は本読む力がないから、テレビで放送大学を見てるよ。」

と答えた先生に対してベッカー氏が「どんな講座を?」という問いかけに

「経済学。今俺が勉強してどうするんだと思いながら見てるよ。」

最後に残るのが知識欲だという先生のご遺言を、先生の享年を過ぎたドクターミネは、深く受け止めている。最後の最後まで残る知識欲は、案外、実務とかけ離れた領域の知識欲なのかも知れない。

「不安」と「期待、希望」について(レジメ)

                                   令和3年5月22日

一向寺大施餓鬼法要

 昨年11月の開山忌法要の時の法話では、新型コロナ感染症に関してお話ししたように、コロナウィルスはインフルエンザウィルス同様、変異しやすい、という特性があり、現在その変異株が大流行していますので、不安を感じている方も多いのではないでしょうか。一方で、ウィルス疾患は、特効薬があまりなく「ワクチン接種で予防する」ことで人類はウィルスに対抗してきました。変異株が猛威を振るう中で、現在ワクチン接種が始まり、ファイザー製以外にも、モデルナ製、アストラゼネカ製のワクチンも認可され、不安ばかりではなく、期待、希望も見えてきました。

 日本人は、特に不安を感じやすい国民性です。脳内神経伝達物質であるセロトニンは、新たなものに挑戦する、やる気を起こさせるなどの作用があり、これが少なくなると、やる気がなくなります。神経細胞内のセロトニン量を調整しているのが「セロトニントランスポーター」です。この「セロトニントランスポーター」の機能は、遺伝子に左右されますが、そのうち遺伝子LL型は、神経細胞内のセロトニンが減少しにくく、野心的で活発、陽気で楽天家といった性格になります。一方遺伝子SS型はその逆で、細胞内のセロトニンが減少しやすく、不安を感じやすい傾向になります。アメリカ人は、この遺伝子LL型が最も多く人口の約30%、逆に不安を感じやすい遺伝子SS型は最も少なく18%。一方日本人は、不安を感じ易い遺伝子SS型が最も多く人口の約65%、遺伝子LL型は最も少なく、3%以下だそうです。

 「不安」「心配」という嫌な感情と、「期待」「希望」という良い感情とは、正反対のように思えますが、どちらもよく似た性格を持っています。どちらも、過去、現在、未来という時制からいえば、未来に相当します。「コロナにかかったら大変だ」と思うから不安になるのであって、実際にはまだコロナにかかっていません。一方、「ワクチンを打てば、完全ではないにしろ、元の生活に戻れるに違いない」という期待感、希望も、ワクチン接種前の感情ですから、どちらも未来の時制です。つまり、将来コロナにかかって苦しむ自分の姿を想像、想定して不安を感じ、将来ワクチン接種して、安心して元のように暮らしている自分を想像、想定して期待、希望を持つのです。一方、不安、期待、希望の材料は、全て過去の、かつて得た知識や情報、体験が元になっています。コロナの感染状況をテレビで見た、コロナで亡くなった、笑いの大御所「志村けん」さんのことをニュースで知った、という過去の体験があるからこそ、それが不安材料となって不安を感じるのです。同様に、ワクチン接種をして元の暮らしに戻りつつある外国の状況をテレビで知った、という過去の体験があるから、希望や期待感が生まれます。

 私達が思い描く未来には、それを裏付ける過去の体験や情報があり、そこから不安や期待が生まれ、不安を回避するために、マスクをつける、手洗いをする、という今の行動、ワクチン接種に期待して、ワクチン接種の予約をする、という今の行動を起こします。そして、期待や希望が想定した通りになれば、「期待通りになった」「希望が叶った」となり、不安の場合は逆に、「不安が的中してしまった」となります。

 一方、未来というのは、何が起こるかわからない、という要素があるので、「想定外」「予想外」の事が起こる事もあります。期待や希望の場合は「期待が外れた」「希望通りにならなかった」となり、不安や心配が起こります。一方、不安でしかたなかった事も、降ってわいたような幸運、つまり僥倖といった「想定外」「予想外」の事が起これば、不安が解消され、期待や希望が生まれます。例えば、大きな病気が見つかって、入院しなければならない、となれば、入院している自分の姿を想像して、不安が生じます。それでも医師から治療方針と、今後の見込みを聞いて、「良くなって退院する」という道筋が想定、想像できれば、不安が解消されて安心し、期待や希望へと変わります。ところがそこへ、想定外の、新たな病気が発見されると、退院できない自分の姿が想像されて、不安になります。つまり、不安といった嫌な感情も、期待や希望といった好ましい感情も、よく似た構造をしているが故に、「想定外」「予想外」という状況が起こると、まるでコインの裏表のように、コロコロと裏返るのです。

 また、私自身に関して生じる不安、希望、期待ばかりではなく、私たち、つまり、国家、家族、に関しても同様の感情が起こります。国家に関していえば、皆様方も私も、今年本当にオリンピックが開催できるのか、という不安を感じている事でしょう。それが自分の連れ合い、子供、孫、両親、兄弟に関して生じる不安、希望、期待、特に子供の場合には、過大な不安や期待をしてしまうものです。「うちの子天才かもしれない」なんて子供自慢をする親がいますが、「あんたの子供だから、そんな訳ないだろう」と内心思いながらも、他人は頷くしかありません。不安や期待の材料となるものは、確かに過去の体験や知識、情報ですが、子供に関しての不安や期待であるにもかかわらず、その材料が、子供が直接体験したり、得た知識ではなく、親が体験したり、得た情報に基づいて、子供の未来を想定、想像するので、ギャップが生じるのです。だからついつい過大な期待、不安になるわけです。巣立つ子供に対する親の不安を歌った歌に、「さだまさし」さんが作詞作曲した「案山子」という曲があります。この歌は、こんな歌詞から始まります。

 

  元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか 寂しかないか

  お金はあるか 今度いつ帰る

 

 初めてこの曲を聴いたのは、私が大学生の時でした。その時は何となく、素敵な歌だな、という程度でしたが、自分に子供ができて、その子供が家元を離れて巣立っていった時、この歌がしみじみと蘇りました。昨今、これが歌の話だけではなく、現実となってきています。大学に入ったのは良いのだけれど、コロナ禍で大学に行けず、授業は全て自宅でズーム授業だから、友達も出来ない。不要不急の外出を避けるから街に慣れる事もできない。コロナ禍でバイトも出来ず、持ち金が底をつく。元気がなくなって、実家に帰りたくとも帰れない…。確か千葉だったと思いますが、生活の苦しい千葉大学の学生さんに、食材を無料で配布したら、大勢の学生が集まった、ということがニュースになっていました。

 では今、私たちはどうすべきなのか。まずは自分の身を守ること。それは結局、自分以外に人にコロナを感染させない事でもあります。また副反応が心配でも、とにかくワクチン接種を受けること。そして、早くコロナがおさまるように「祈ること」。些細なことかもしれませんが、まずはこれから実行するしかない、ように思います。

 それにしても私たちは、その人生において、数多くの不安感と、おそらく同じ数だけの希望や期待感を持って生きてきました。そしてこれらは、まるでコインの如く、些細な想定外の出来事により、すぐに裏返ることも体験してきました。もしかすると、そんな些細なことで一喜一憂している時が、一番幸せなのかも知れませんね。希望、期待、夢を失うということは同時に、不安感も失うことであり、不安感によって働いている「ブレーキ」を失うということを意味しているのですから。

令和三年度大施餓鬼法要の様子

 令和三年度の一向寺大施餓鬼法要は、小雨の中、522日に修行いたしました。新型コロナウィルス感染症(COVID-19)大流行による、緊急事態宣言が首都圏に発令されている事もあり、昨年同様、出来る限り「三密」をさける方針で、檀家様方には、境内での法要参加といたしました。

 大施餓鬼法要前の、住職による法話の様子です。朝から小雨であったため、境内には大きなテントを用意し、なるべく間隔を空けて座っていただきました。


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 本堂内の様子です。実際の法要は昨年同様、三々寺の組寺寺院のみ、ご随喜いただきました。

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お焼香の様子です。焼香台は、本堂入り口前に設置し、階段昇降に関しては、右側上り、左側下りと分けるために、カラーコーンを置き、並ぶ際もそのカラーコーンの位置に並んでいただきました。

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 法要の中で卒塔婆を供(くう)じた後、卒塔婆を本堂から境内内の卒塔婆置き場に移動し、お焼香後は、写真4のように、境内墓地の方は卒塔婆を外で受け取り、院外墓地の方は翌日、それぞれの墓地に卒塔婆を取りに行っていただきました。

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