ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十一回(令和3年お盆)
思い返すと、昨年4月に新型コロナウィルス感染症のため緊急事態宣言が出される事態となった。この未曾有の出来事に、日本中が揺れたが、未だに終息されていない。延期された東京オリンピック開催がどうなるのか、心配しながら、これを執筆している。
その影響を受けて、昨年五月の当山大施餓鬼法要は、従来の法話は中止して、檀家様方には本堂内ではなく、境内にて法要にご参加いただいた。十一月の開山忌法要では、境内で法要にご参加いただいた檀家様方に、法要前、新型コロナウィルス感染症についてお話をした。コロナウィルスはインフルエンザ同様RNAウィルスであり、変異しやすいため、その変異型が感染力の強い方向に変異する可能性が高いことを指摘した。この「不安」は、残念ながら的中した。一方で人類は、ウィルス感染症の対策として、種痘以来、ワクチン接種で対抗してきた。ワクチンが完成して、ワクチン接種が始まれば、終息の方向に使うはずだ、という「希望」も話したが、現在着々とワクチン接種が始まっている。ただ、通常ワクチン開発には十年かかると言われているのを、わずか一、二年で市場に出すためには、有効性と副反応のチェック期間を削るしかない、という問題点も指摘したが、この「不安」だけは完全には払拭されていない。それを承知の上で、ドクターミネは六十五歳以上の高齢者枠で、ワクチン予約した。そして今年五月の当山大施餓鬼法要の法話では、「不安」「希望」という感情について話をした。この法話の内容は、一向寺ホームページに公開する予定である。
コロナ自粛で寺坊にいる時間が増えたため、勉強の時間は確実に増えた。次男が生命科学の勉強をしていた事もあり、改めて遺伝子などの基礎医学の勉強を始めた。また今まで「積読」状態にあった書物も読み出した。かつて大学院生時代、実際の研究に役立つとも思えないようなシステム理論について、N教授からマンツーマンで習い、また電子軌道や量子論の初歩をI先生から習った。この時必死でまとめたノートは、もう必要ないだろうと思って、昨年実行した断捨離で全て処分した。それが今になって、もう一度勉強してみたくなった。
ドクターミネが私淑(ししゅく)する医師に、岡部健(おかべたけし)先生がいる。本人にお会いした時、隣町の栃木県小山市出身だとおっしゃっていた。末期癌患者を在宅で看取るという、在宅緩和ケアのパイオニアである。その岡部先生自身が胃癌となり、母校の東北大学で手術を受けて療養中、あの東日本大震災に被災された。緩和ケアには、日本的死生観を心得た宗教者が必要である、との実感を、自らが臨床教授をしていた東北大学に、臨床宗教師養成講座という形にされた。臨床宗教師という言葉も先生自身の発案だときいている。その先生は、ご自身が築き上げた在宅ケアグループ「爽秋会(そうしゅうかい)」のメンバー、その一人でもある臨床宗教師第一期生の髙橋悦堂師、そしてご家族の方々に見守られながら、二〇一二年九月二十七日、六十二歳の生涯を閉じられた。そのわずか六日前に、先生自身が望まれた相手、カール・ベッカー氏との対談記録が同年の『文藝春秋』十二月号に掲載された。ベッカー氏が「ところで、身体の具合はいかがですか?」という質問に対して先生は
「順番に欲望が取っ払われていくんだな。まずは性欲がなくなって、それから物欲。さらに食欲が衰えて、最後まで残っていたのが知識欲。今は本読む力がないから、テレビで放送大学を見てるよ。」
と答えた先生に対してベッカー氏が「どんな講座を?」という問いかけに
「経済学。今俺が勉強してどうするんだと思いながら見てるよ。」
最後に残るのが知識欲だという先生のご遺言を、先生の享年を過ぎたドクターミネは、深く受け止めている。最後の最後まで残る知識欲は、案外、実務とかけ離れた領域の知識欲なのかも知れない。
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