ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十八回
前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。
親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。
「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老い
前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。
親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。
「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老いて、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。
息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。
父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。
、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。
息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。
父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。
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