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2024年1月

2024年1月25日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十八回

 前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。

「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老い

 前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。

「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老いて、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。

息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。

父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。

、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。

息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。

父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。

2024年1月18日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十七回

 前回の令和四年秋彼岸号では、夫婦関連の話をしたので、今回は二回に分けて、親子関連の話をしようと思う。そもそも親であるという自覚は、何から生まれるのか。ドクターミネは、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされると考えている。

 ケアとは、お世話する、気遣いをすることである。特に看護領域では、患者のお世話、患者への思いやりという意味であり、看護師から患者へ施される一方向性の言葉として使われてきた。一方ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益をもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

 母親の場合、妊娠中から我が子のケアが始まる。そして最大の難事業は出産である。出産は昔から命懸けである。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」では取り上げられなかったが、源頼家の娘である竹御所(鞫子(きくこ)ないし媄子(よしこ))は、第四代鎌倉殿藤原頼経と結婚したが、出産のために三十三歳で亡くなっている。現代では医療の発達により、周産期死亡率(出産による死亡率)は激減したが、それでもゼロになった訳ではない。まさに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて母親となる。一方父親はどうか。生まれてくるまでの間は、子供に対するケアはなく、もっぱら妊娠中の妻へのケアに全力投球する(このケアが不充分だと一生文句を言われる事になる)。つまり子供が産まれて初めて父親としてのケアが始まるのである。

 おっかなびっくり、抱き上げたり入浴させたりする。オムツ交換をする中で、乳だけを飲んでいるときの便と、離乳食が始まって以降の便では、臭いが異なることも、ケアの中で実感する。必死であやしても泣き止まず、右往左往しながら、結局子供を妻に渡すと泣き止むというときに味わう敗北感。初めて「パパ」と呼ばれて小躍りして喜んだ等々。昭和53年にヒットした歌「ANAK(息子)」の歌詞を思い出す。

「お前が生まれた時 父さん母さんたちは どんなに喜んだことだろう 私たちだけを 頼りにしている 寝顔のいじらしさ 一晩中 母さんはミルクをあたためたものさ 昼間は父さんが あきもせずあやしてた」

もう、こんな仕事なんかやってられるか、と愚痴りながら夜中に帰ってくる。それでも子供の寝顔を見たら、また明日から頑張るかと、拳を握りしめる。確かにケアは、ケアされる者のために行うのであるが、同時にケアする側にも幸福感や満足感をもたらす。ただ良いことばかりではない。この歌は次のように続く。

「お前は大きくなり 自由がほしいと言う 私達はとまどうばかり 日に日に気難しく 変わってゆくお前は 話を聞いてもくれない 親の心配見向きもせず お前はでてゆく」

オムツ交換や入浴介助など、直接的なケア行動が主体であった我が子も、成長に伴い、徐々に、間接的なケア行動の割合が増えていく。そして巣立ちのときを迎えてしまうと、直接的なケアといえるのは、たまに帰郷した時に、少々迷惑がられながらも、「食べきれないほどの料理」を用意してもてなすことぐらいになる。それでも親としては「心配する」という間接的なケアは残る。結局は、親として出来るのは、お前がどんな状況になろうとも、私達は最後まで味方だよ、と念じ続けるしかない事にも気付かされる。そういった全てのケアリングの体験が、自然に自らに「親としての自覚・矜持」をもたらしてきたのではないのか。

ただ、我が子の成長に従い、そして悲しい現実だが、親としての我が身の高齢化に伴い、結果としてケアの形態が変化していく。時として、親としての矜持が重荷にかわっていくが、この先の話は、めでたい正月にはあまりそぐわないので、次回、春彼岸号に回す事にする。

2024年1月11日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十六回

最近学生に、高齢者医療について「老いと向き合う」という題で講義をした。その中で、胃瘻(いろう)について説明した。胃瘻とは、経口摂取ができない患者に対して、外から直接胃に穴をあけて、チューブを設置し、そこから栄養のみならず、水、薬を投与する方法である。そもそも胃を含めた消化管は雑菌による感染に対して強いので、特別な滅菌処置は不要である。

しかも胃瘻自体が不要になれば、単に抜去するだけで、自然に塞がる。胃瘻は優れものだが、胃瘻によって生かされている姿を他人事として見ると、拒否感を持たれる方もいる。この胃瘻に関して、学生が書いたレポートの中に次のようなエピソードがあった。この学生の曽祖父は終末期において、病気の関係で経口摂食ができなくなり、胃瘻からの摂食をしていた。意識はしっかりしていたこともあり、妻(学生にとっては曽祖母)は毎食、夫の好きな物を細かく刻んで、あたかも口から食べさせるように、胃瘻から食べさせていたという。それを夫は満足そうに眺めていたそうである。

このエピソードを読んで、おそらくこの老夫婦と同年代と思われる、ある老夫婦のことを思い出した。老婦人が亡くなる1-2年前、夫が先にお浄土の人となった。しかし彼女はこの時入院中であり、葬儀に参列することができなかった。この老婦人が亡くなり、七七日(しじゅうくにち)忌に納骨したが、なぜか納骨に手間取っているようであった。納骨供養の後に、施主である息子さんに、なぜ手間取っていたのか、訳を尋ねたところ、笑いながら、こう言った。

「お袋は亡くなる直前、自分が死んだら、夫の骨壷と自分の骨壷が、離れ離れにならないように、縄で縛ってほしい、と言うのです。これがお袋の遺言ですから、親父とお袋の骨壷同士を一緒に縛っていたので、時間がかかりました」

ドクターミネは、涙が出るほど感激して、帰宅したら、真っ先に妻にこの話をしようと思った。しかし実際に妻の顔を見たら、ちょっと待てよと思い、口をつぐんだ。世の常として、男性である私が先にお浄土に行き、妻を待つことになるであろう。そして妻が臨終に際し、この老婦人のように、離れ離れにならぬように、骨壷同士を縛ってほしいと、遺言してくれれば、万々歳である。阿弥陀如来の後に従って、胸を張ってお迎えに行くことができる。しかし、例えば

「死んでからも、あの人とくっつきたくないから、骨壷同士をできるだけ離して頂戴!」とか

「死んでまであの人と一緒にいたくないから、別のお墓に私の骨壷を入れて頂戴!」

なんて言われてごらんなさいよ。阿弥陀如来に

「おい、お前の妻をそろそろ迎えに行くぞ」

とお誘いいただいても、どの面下げて迎えに行けばいいんだよ、という事になる。この感動話も、迂闊(うかつ)には話ができないぞ、と思い、つくづく、夫婦のあり方について考えされられた。最後に、宗祖一遍上人のお言葉で締めさせていただく。

それ、生死(しょうじ)本源(ほんげん)の形は男女和合(なんにょわごう)の一念。流浪(るろう)三界(さんがい)の相は愛染(あいぜん)妄境(もうきょう)

迷情(めいじょう)なり。男女かたち破れ、妄境おのづから滅しなば、生死

(もと)無にして、迷情ここに尽きぬべし。

(現代語訳:生死輪廻(りんね)する本源は、男女和合の一念である。三界を流浪するのは、愛欲に執着した迷いの心を持っているからである。男女の形が破れると、誤った心が自然に消えるので、生と死は本来実体の無い、仮の姿であると気づき、迷いの心は消えるであろう。現代語訳は、『一遍上人縁起絵』現代語訳研究会編より)

2024年1月 2日 (火)

令和6年 一向寺通信(PDF)

ダウンロード - 6e5b9b4e4b880e59091e5afbae9809ae4bfa1.pdf

 

2024年1月 1日 (月)

新年の挨拶(PDF)

ダウンロード - 6e5b9b4e696b0e5b9b4e381aee68ca8e68bb6.pdf

 

当山喪中の為、新年の挨拶をご遠慮いたします。

檀信徒の皆様方には、日頃から何かと一向寺護持興隆の為に多大なご協力を賜りまして、厚く御礼申し上げます。

一向寺通信新年号、時宗宝暦を同封いたしました。最後のページには、今年の年間予定と、ホームページのアドレスがありますので、ご参照いただければ幸いです。

 

令和六年正月

時宗 蓮池山無量院一向寺住職

峯崎賢亮

 

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