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2024年1月18日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十七回

 前回の令和四年秋彼岸号では、夫婦関連の話をしたので、今回は二回に分けて、親子関連の話をしようと思う。そもそも親であるという自覚は、何から生まれるのか。ドクターミネは、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされると考えている。

 ケアとは、お世話する、気遣いをすることである。特に看護領域では、患者のお世話、患者への思いやりという意味であり、看護師から患者へ施される一方向性の言葉として使われてきた。一方ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益をもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

 母親の場合、妊娠中から我が子のケアが始まる。そして最大の難事業は出産である。出産は昔から命懸けである。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」では取り上げられなかったが、源頼家の娘である竹御所(鞫子(きくこ)ないし媄子(よしこ))は、第四代鎌倉殿藤原頼経と結婚したが、出産のために三十三歳で亡くなっている。現代では医療の発達により、周産期死亡率(出産による死亡率)は激減したが、それでもゼロになった訳ではない。まさに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて母親となる。一方父親はどうか。生まれてくるまでの間は、子供に対するケアはなく、もっぱら妊娠中の妻へのケアに全力投球する(このケアが不充分だと一生文句を言われる事になる)。つまり子供が産まれて初めて父親としてのケアが始まるのである。

 おっかなびっくり、抱き上げたり入浴させたりする。オムツ交換をする中で、乳だけを飲んでいるときの便と、離乳食が始まって以降の便では、臭いが異なることも、ケアの中で実感する。必死であやしても泣き止まず、右往左往しながら、結局子供を妻に渡すと泣き止むというときに味わう敗北感。初めて「パパ」と呼ばれて小躍りして喜んだ等々。昭和53年にヒットした歌「ANAK(息子)」の歌詞を思い出す。

「お前が生まれた時 父さん母さんたちは どんなに喜んだことだろう 私たちだけを 頼りにしている 寝顔のいじらしさ 一晩中 母さんはミルクをあたためたものさ 昼間は父さんが あきもせずあやしてた」

もう、こんな仕事なんかやってられるか、と愚痴りながら夜中に帰ってくる。それでも子供の寝顔を見たら、また明日から頑張るかと、拳を握りしめる。確かにケアは、ケアされる者のために行うのであるが、同時にケアする側にも幸福感や満足感をもたらす。ただ良いことばかりではない。この歌は次のように続く。

「お前は大きくなり 自由がほしいと言う 私達はとまどうばかり 日に日に気難しく 変わってゆくお前は 話を聞いてもくれない 親の心配見向きもせず お前はでてゆく」

オムツ交換や入浴介助など、直接的なケア行動が主体であった我が子も、成長に伴い、徐々に、間接的なケア行動の割合が増えていく。そして巣立ちのときを迎えてしまうと、直接的なケアといえるのは、たまに帰郷した時に、少々迷惑がられながらも、「食べきれないほどの料理」を用意してもてなすことぐらいになる。それでも親としては「心配する」という間接的なケアは残る。結局は、親として出来るのは、お前がどんな状況になろうとも、私達は最後まで味方だよ、と念じ続けるしかない事にも気付かされる。そういった全てのケアリングの体験が、自然に自らに「親としての自覚・矜持」をもたらしてきたのではないのか。

ただ、我が子の成長に従い、そして悲しい現実だが、親としての我が身の高齢化に伴い、結果としてケアの形態が変化していく。時として、親としての矜持が重荷にかわっていくが、この先の話は、めでたい正月にはあまりそぐわないので、次回、春彼岸号に回す事にする。

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