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2024年2月

2024年2月 9日 (金)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第二十回

 最近、妻からホトケノザ(仏の座)という雑草を教えられた。確かによく見ると、葉が仏の台座に見えるし、その上に咲く紫色の小さな花は、合掌している仏様に見える。今まで、雑草として目の敵にしていたくせに、急に愛らしく思えた。

そもそも花を見た時に、穏やかな、幸せな気分になるのはなぜか。脳の後頭葉という場所に集められた視覚情報が、眼球の奥に位置する「眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)」という場所に届けられると、ドーパミンなどが分泌され、これによって、「美しい」「素敵だ」といった感情がもたらされるからである。これは人類共通なので、世界中の人達が、部屋に花を飾り、お祝いに花束をプレゼントする。お盆や彼岸では、お仏壇や墓所に生花をお供えするし、正月などの、いわゆる「ハレ」の日には、床の間や玄関に、生け花を飾る。特に日本では、「華道」という芸術にまで昇華させている。

 仏様に生花や供物をお供えするのは、仏様に対する我々の「心遣い」である。「亡くなったあなたのことを、決して忘れていませんよ」という思いを形に表したものとも言える。日本人の伝統的なあの世感は、梅原猛(うめはらたけし)先生の著作『日本人の「あの世」観』によれば、あの世は、この世とアベコベの世界ではあるが、この世とあまり変わりない世界、という認識だという。確かに、葬儀の弔辞で「俺があの世に行ったら、また一緒にゴルフしようぜ」的な言葉を耳にする。仏膳は通常、私たちが普段食べているような物を、箸をつける前にまずお供えする、という伝統も、こういった日本人のあの世感の影響かもしれないと思う。そういう意味では、お盆も彼岸も、仏様にとっては「ハレ」の日なので、生花をお供えする意味も理解できる。

 仏様に生花や供物をお供えするのは、仏様に対する我々の心遣いである以上、花が枯れるまで、ご飯が「カパカパ」になるまでお供えしているのは存外である。かといって、造花ならば枯れないからよかろう、缶詰ならば中身は腐らないからよかろう、という訳でもない。劣化をしない物をお供えすれば、我々はついつい安心して放置してしまう。これでは、仏様に対する心遣い、という供物の本来の目的から逸脱してしまう。平成20年「遊行」秋彼岸号で木本鑑乗(きもとかんじょう)師が指摘したように、あえて「枯れるもの、腐るもの、無くなるもの、減るもの」をお供えすべきだというのは正鵠(せいこく)を射た意見である。

 一方、仏様に対する心遣いとしてではなく、生けられた「花」に焦点を当てた言葉がある。幸田(こうだ)文(あや)の随筆『こんなこと』に出てくる父の言葉である。彼女の父は、明治の文豪幸田露伴(ろはん)である。

「床の間の花瓶に枯れるまで花を活けておくな。枯れる前に花を処置せよ。花に惨めな思いをさせるな。」

「花に惨めな思いをさせるな」という発想には共感を覚える。しかも、処分ではなく、枯れる前に花を「処置」せよ、と指示している。これは露伴が、武家出身者であるが故の感性なのかもしれない。そもそも生け花は、花の持つ美しさを、観賞用に切りとって飾るものである。しかし花は、「きれいだ」「すばらしい」といった感情を、人間に呼び起こすだけのものではなく、花そのものに「尊厳」があるのだと露伴は言いたかったのかもしれない。処分も処置も、どちらも花を始末せよ、という指示には変わりないが、語感としては、処理の方が、手心を加える余地を持たせた表現である。だからこそ、花の持つ尊厳を、徒に損ねてはいけない、という意味で、「枯れる前に花を処置せよ」と指示したのであろう。「花には花の尊厳がある」という観点から、もう一度花を眺めてみようと思う。

2024年2月 1日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十九回

 脳神経の第一番が嗅(きゅう)神経である。嗅神経は、他の脳神経と異なり、脳幹部も視床も通らず、直接大脳皮質である内嗅皮質にはいり、記憶を司る海馬(かいば)にアクセスしている。この知識を、今年息子と二人、レストランで食事をしている時に実感した。

 食事に合わせてグラスワインを飲んでいた時、ウェイトレスから「たまたま開栓した一九九八年物のボルドー、ポムロールがあるので、一杯ずつ飲んでみますか」という申し入れがあり、二人で飲む事ができた。喉の奥から広がるわずかな香りは、誤解を恐れずに言えば「堆肥(たいひ)になり始めている落ち葉のような香り」といった感じだった。味と風味を聞かれたので、失礼を省みず、あえて正直に言った。すると彼女は「それがまさしくブーケの香りだ」と教えてくださり、ブーケの香りについて色々教えて下さった。この時、これに近い香りのワインを以前に飲んだ事を思い出した。目の前にいる息子がまだ乳飲児であった三十年前、モンシャンミッシェルを見学した帰りに寄ったフランス料理店で、やはり同じように勧められて飲んだ一九七八年物のボルドーワインが、このような香りがした。日本酒や泡盛の古酒をイメージしていたのに、実際に飲んでみたら、ほんの少し「カビ臭い」感じがして、美味いとは思えなかった事を思い出したが、それをきっかけに、次々に、忘れかけていたあの時のフランスへの家族旅行のエピソードを思い出した。

 英国に住んでいた頃の話である。英国のプリマスからフェリーに乗り、フランスのシャーバーグに渡った。この時の船内放送で、英国人がいう「シャーバーグ」は、カトリーヌ・ドヌーブが演じた「シェルブールの雨傘」の「シェルブール」だとわかった。「どうせなら、シェルブールに泊まりたかったわ」と言う妻の声を尻目に車で船外に出た。ここでドクターミネは不覚にも「ラウンド・アバウト」を逆走するという大失態をした。英国は左側通行なので「ラウンド・アバウト」は時計回りだが、フランスは右側通行なので反時計回りと逆になる。この事は知っていたのだが、初めての右側通行という緊張感からか、英国と同じ方向に回ってしまい、冷や汗をかいた。

 出発前に、恩師のチャップマン教授から、美味しいフランスワインの選び方を習っていた。「フランスのスーパーマーケットは、大量のフランスワインが並んでいて、どれが安くて美味いか、ラベルなど見てもわからん。だからまずは、現地のフランス人がどのワインを選ぶか、しばらく観察しろ。そして多くの現地人が手にしたワインこそ、安くて美味いワインだ。」この方法は大変有効で、安くて美味しいワインを手に入れる事ができた。

 帰りはフランスの「ラ・ハーブ」という港町からフェリーが出るので、車で向かったが、道に迷い、何度か現地人に尋ねたが、そんな地名は知らないと言われた。そこで「シェルブール」の事を思い出し、地名のスペルを見せたところ「ル・アーブルなら、その道を真っ直ぐに行け」と言われた。「ラ・ハーブ」は、モネの生まれ故郷の「ル・アーブル」だったのか…。

「ル・アーブル」の港では、行きに一緒だった英国人夫婦達に再会した。そこで驚いたのは、英国プリマスで会った時には、ご婦人方は皆、「スッピン」だったのだが、ル・アーブルでは全員、しっかりと化粧をしているではないか。しかも、お互いに何を買ってきたか見せあったのだが、当然ワインを買ってきていると思っていたのに、彼らは大量の、車が沈むほどのフランスビールを購入していた。嬉しそうに、フランスのビールは格別美味いんだ、といった。「やっぱり英国人だ!」

この先、新型コロナウィルス感染症やくも膜下出血で嗅覚を失えば、酒の旨さがわからなくなるかも知れない。認知症になれば海馬が萎縮するので、引き出される記憶が失われるかも知れない。だからこそ、今この瞬間が愛おしい…。

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