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仏教法話

2021年12月31日 (金)

令和3年度 一向寺開山忌法要法話

「故郷に還る」ということ

 

「故郷」と聞くと、私はすぐに頭に浮かぶ歌がありまして、それが『チャンチキおけさ』です。昭和32年の大ヒットした曲で、三波春夫さんのデビュー曲だとと聞いています。この歌は、特に三番の歌詞が切ないんですよ。

  三番:

   故郷(くに)を出る時 持って来た

   大きな夢を 盃に

   そっと浮かべて

   もらすため息 チャンチキおけさ

   おけさ涙で くもる月

 

故郷を思い出すときに、何が切ない原因かといえば、この三番の歌詞にもあるように、「くにを出る時持ってきた大きな夢」だと思うのですよ。昔も今も、故郷を出る時には、大なり小なり、夢を抱いて出て行きます。ところが、時がたつにつれて、現実という大きな壁が立ちふさがる。かといって、逃げ出すこともできない。夢がいつの間にか、一片の桜の花びらのように見えてくる。酒を注いだ盃を眺めながら

「大きな夢を 盃に そっと浮かべて もらすため息 チャンチキおけさ」

ですよね。

 ここにいらっしゃる皆様方はどうでしょうか。生まれてからこの方、ここ古河近辺でずっと暮らしで来られた方もいらっしゃるでしょう。または、仕事の関係などで一旦故郷を離れたけれど、また故郷に戻ってこられた方もいるでしょう。だれの言葉が忘れてしまいましたが

「男は故郷に帰ろうとし、女はそこに故郷をつくる」

これは言い得て妙ですね。この言葉を裏付けたのが、アラン ウイルソン博士です。アランの研究の主体は、そもそも人間の祖先はどこからきたのか、という問題であり、これを母親からのみ引き継ぐ、ミトコンドリアの遺伝子を解析するという方法により、今から約15万年前、中央アフリカあたりに住んでいた一人の女性にたどり着きました。この女性を「ミトコンドリア・イブ」と名付けました。私達は日本人であろうがアメリカ人であろうが、すべてがこの「ミトコンドリア・イブ」という女性の子孫です。人類共通の偉大なる「おっかさま」です。実はこの研究の副産物として、おもしろいことがわかりました。人間の多様性や遺伝性疾患を防ぐためには、遺伝子が広く拡散することが重要なのですが、その遺伝子の拡散に大いに関与していたのが、女性であることもわかりました。つまり女性が、色々な場所に「嫁いでいく」ことによって、遺伝子が広く拡散していったのです。ここにいらっしゃる女性の方々の中には、故郷は全く別で、ここ古河には、嫁いでやってきた、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。この地に定住して子供を育てる。その子供達にとっては、母親のいるこの地が、今度は故郷になります。まさに「女はそこに故郷をつくる」というのは、言い得て妙ですよね。

 一方男にとっての故郷とは何か。それは童謡『ふるさと』の三番にあるように、「志をはたして いつの日にか帰らん」という場所なのかもしれませんね。故郷に錦を飾りたい、いつか志を果たして故郷に凱旋したい、という思いが少なからず男にはあります。

 この問題を考える上で、いつも思い出すのが、司馬遼太郎氏原作『坂の上の雲』です。何年か前に、NHKが年末歴史番組として取り上げましたので、ご覧になった方もいることでしょう。主人公は3人で、共に幕末伊予の国、つまり現在の愛媛県の松山城下に武士の子として生まれました。その3人とは、正岡子規、彼の同級生である秋山真之(さねゆき)、そして秋山の兄の秋山好古(よしふる)です。確かテレビでは、正岡子規役は香川照之氏、秋山好古役は阿部寛氏、そして秋山真之役は本木雅弘氏でした。33様に、志を立てて故郷を後にしました。

 三人の中で、現在最も有名人は、正岡子規でしょう。「俳句中興の祖」として教科書には写真付きで掲載されていますし、故郷松山市には現在、子規記念博物館がありますから、まさに故郷に錦を飾った人、ということになります。しかし当時彼は、ほぼ無名に近いまま、東京下町の片隅で、わずか32歳で、結核で亡くなりました。しかも脊髄カリエスのために晩年は下半身麻痺で寝たきりの状態となり、母親と妹の律さんに介護されての人生でした。彼自身、まさか100年後に、故郷に自分の記念館ができるなど、予想できなかったことでしょう。

 その反対に、男たちの憧れの人生、つまり生前中に故郷に錦を飾り、家族に看取られての大往生を遂げたのが秋山好古です。上京して陸軍軍人になりましたが、かつての松山藩のお殿様である久松候が、フランスに軍事留学したいと言い出したものですから、かつての御家老様から、軍人になった者が誰かお供についていけということになり、結局秋山に白羽の矢が立ちました。秋山はフランスの陸軍士官学校で、騎兵部隊に出逢います。車の無かった時代、馬が最も速い移動手段でしたので、騎兵部隊の機動力は重要でした。しかもヨーロッパは中世以来、日本でいう武士に相当するのが騎士であり、彼らは伝統的に馬に乗って戦っていましたので、それぞれの国で独自の騎兵部隊をもっており、秋山はここで、フランス式の騎馬部隊の養成、そして用兵の仕方を習い、帰国して、日本初の騎馬部隊を創設しました。そして彼が創設した騎馬部隊の真価を問われたのが、日露戦争です。世界最強の騎馬部隊である、ロシアのコサック騎兵部隊と戦うことになりました。相撲で例えれば、入門したての新弟子が、いきなり横綱に戦いを挑むようなものです。騎兵隊同士の決戦では100%負けがわかっていたので、騎兵部隊の機動力を生かして、敵陣奥深くに侵入し、実際にコサック騎兵隊と戦うときには、馬を下りて、通常の歩兵同様陣地を構築し、そこで迎え撃ちました。何度も壊滅の危機に瀕しながら、それでも紙一重で、打ち破られることなく、陣地を守り抜きました。その功績もあり、秋山好古は、最終的には陸軍大将で退役した後、故郷の松山から要請を受けて、新設の旧制中学の初代校長に就任しました。まさに、志を果たして、故郷に錦を飾りました。そして最後は東京に戻り、家族に看取られて、71歳での大往生でした。

 一方、当時世界的な有名人となったのが、秋山真之です。彼は東郷平八郎元帥率いる連合艦隊旗艦「三笠」に作戦参謀として日露戦争に従軍し、有名な「T字戦法」を立案し、ロシアのバルチック艦隊を撃滅しました。そのため「General Akiyama」の名前は、世界中の海軍将校では知らない者がいないほど有名になりました。ただ、海軍中将に昇進する直前、今だったら決して死ぬ病気ではない、虫垂炎から腹膜炎となり、現役の軍人であった49歳の時、死亡しました。彼は若い頃から観戦武官として、世界中を見てきましたので、特にアメリカの国力、底力を実感していました。ですから「アメリカ、イギリス何するものぞ」と息巻く若い軍人達に対して、アメリカと決して事を構えるな、アメリカと戦えば国が滅ぶと、周囲にいた若い将校に遺言し、日本の未来、日本帝国海軍の未来を憂いながら死んでいきました。結果は皆さんもご存じの通りです。彼自身、志を果たした、とは思えなかったかもしれません。

 考えてみると、故郷に錦を飾る、志を果たして故郷に戻るというのは、大変難しいことなのかもしれませんね。私は19歳の時、大学進学のために故郷を離れ、その後、神奈川、栃木、そして英国ブリストルに住み、36歳の時に古河に戻リました。古河に戻るまでの自分を思い出すと、「大きな夢を盃に そっと浮かべて 漏らすため息 ちゃんちきおけさ」の連続でしたね。

 人はね。例えば、あいつの半分の能力しかないという現実を、素直に受け止めることができないものですね。今から思うと、精一杯背伸びをしながら、つま先立ちで、前のめりになりながら、必死で前へ前へと歩んでいたように思えます。しかし、大した成果はあがリませんでしたね。「故郷に錦を飾る」というのは存外にしても、志を果たした、といえるかどうか、正直微妙ですね。ただある意味、回り道をして、身を削ったおかげで、己の能力の限界を自覚できただけでも、めっけもの、だったかもしれませんね。

 65歳になって改めて思うことがあるのですが、法然上人が晩年、南無阿弥陀仏で極楽浄土に往生することを「故郷に還る」ことだとおっしゃいました。これをどのように理解して受け止めたらいいのか。元々私達は、浄土からこの世に生まれてきた訳ではありません。極楽浄土にいらっしゃる仏様や菩薩様が人間として生まれ変わった人など、一人もいません。人間はどこまでいっても人間であり、仏や菩薩が生まれ変わることはありません。それを充分に理解していたはずの法然上人が、どうして浄土に往生することを「故郷に還る」と感じておられたのでしょうか。

 そもそも私達が感じている故郷というのは、どこにあるのでしょうか。童謡『ふるさと』にあるような「ウサギ追いし かの山」は、古河にはないにしても、「小鮒つりし かの河」は、かつては確かにありましたが、今も現存していますか?私が子供の頃、よくザリガニやドジョウをとった水田の用水路や小川も、もはやどこにも残っていません。場所だけではありませんよ。人もそうです。年を経るうちに、故郷の懐かしいあの人はすでにお浄土の人になっていたり、いつも一緒に遊んでいた懐かしい友に、久しぶりに会ったら、誰だかわからなくなるほど髪の毛が涼しくなっていたりする。大好きでも、告白すらできなかった初恋の人に久しぶりに会ったら、驚くほど横に成長していて、「おーい。俺の初恋を返せ!」なんてことにもなりかねない。まあ、これはお互い様か。地域も人も無常なのです。絶対に変わらない故郷というものは、この世にはどこにもありませんよ。でもね。私達それぞれが、あの時、あの場所で、体験した「時」だけは過ぎ去ることはなく、ちゃんと此の身に備わっているのです。夏の暑い日にふっと思い出す。子供の頃、友達と夢中で遊んで帰ってきたら、おばあちゃんが井戸の中からスイカを取りだしてきて、切ってもらったスイカを夢中で食べたこと。ザリガニ取りに夢中になりすぎて、服を真っ黒にして帰ったら母親に叱られたこと。友人と夜遅くまで花火をやったこと。故郷って、結局はそういう過去の思い出の体験の中にあるのではないでしょうか。だって、志を果たして生まれ故郷に帰ってみたら、そこには自分のことを記憶している人が誰もいなくて、まるで浦島太郎のようだったということもあるのですから。

 結局私達は、故郷で過ごした無数の体験の「時」と、故郷で得た無数の縁、一切合切を抱えて浄土にいきます。浄土で、懐かしい人達と再会する事で、故郷の懐かしい光景が広がるのであれば、浄土に往生することが故郷に還ることになるのではないかと、なんとなく思っている次第です。

2020年7月21日 (火)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第七回

 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)大流行のため緊急事態宣言が出された、令和二年四月にこの原稿を書いている。一番衝撃を受けたのは、同い年の女優、岡江久美子氏が本病で亡くなられたことである。皆様方がこの記事を目にするお盆までに、終息するとは思えない。各地で医療崩壊が起こり『遊行』を読むどころではないという状況を危惧している。いや、ドクターミネ自身が感染して、「お浄土の人」になっているかもしれない。内科医としてはもはや、何のお役にも立たない老兵である小衲は、現役医療者が、燃え尽きないように毎日祈っている。弓の弦が張りすぎれば、最後は断裂してしまうように、緊張状態が続けば、遂には燃え尽きてしまう。一度燃え尽きてしまうと、そこから復活するまでに相当の時間を要する。場合によっては、一生医療者として、職場に復帰できなくなる人さえいる。

 

 現場の医療者は、ただ「目の前の患者」のために己を奮い立たせる。医師としての矜恃、看護師としての誇り、PCR検査は私達にしかできない、という検査技師の強い責任感で、最前線に踏みとどまっている医療関係者によって、現場が支えられている。しかも彼らには家族がいる。自らの身を守ることは、家族の身を守ることであり、それが同時に患者の身を守ることにもつながる。そのための防護服や医療用マスクがここに来て、底をついているという。このままでは、ぎりぎりのところで頑張っている勇士を、丸腰で最前線に立たせることになる。この問題だけは、最優先で解決しなければならない。

 

 新型コロナウィルスとの闘いは「戦争」にもたとえられている。戦争で思い出した事がある。第一次世界大戦を終戦に導いた陰の立て役者は、「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザであった。もちろん日本も例外ではなく、推定患者数二千万人が罹患し、二十五万人が死亡したという。新型コロナウィルスは中国武漢から世界中に拡散したが、「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザの発生起源には諸説あるようだ。

 

 この大戦に軍医として参戦したアルフレッド・アドラーは、戦争体験から「共同体感覚」という概念を提唱した。彼は「人生の意味は全体への貢献である」「私に価値があると思えるのは、自分の行動が共同体にとって有用であるときである」という。例えばドクターミネの場合「古河市民」「茨城県民」「日本国民」といった「地域」という共同体の中にいる。アドラーがいうように、私が所属している共同体の一員として、特にこのウイルス禍の状況の中で、私に価値があると思えるような有用な行動とは何か。誰もが賞賛するような積極的な有用行動など、期待すべくもない。畢竟、消極的な方法ではあるが、コロナウィルスに罹患しないための行動をとる、これに尽きるであろう。小衲が罹患すれば、ぎりぎりで頑張っている現役内科医の足を引っぱることになる。周囲の人にウイルスを拡散すればなおさらだ。住職としての仕事ができなくなれば、それを代務する方々にも負担をかける。「私、昔のようにガーゼでマスクを作って、それをしているの」とおっしゃる檀家の高齢婦人がいた。マスクがないと嘆くぐらいなら、作ればいい。手洗いを徹底し、「三密」環境を避ける。当たり前のことを、継続して実行するのは決して容易なことではないが、現在の小衲にとっては、共同体の一員としての、唯一無二の有用な行動は、その当たり前のことを実行する事、それこそが私の存在価値なのであろう。

 

 来年は、延期になった東京オリンピックをぜひ開催してほしい。今こそ、「共同体の一員」としての自覚を持ち、その共同体に対して有用な行動を意識する必要に迫られている。それは大それた事ではない。「ほしがりません、コロナが終息するまでは」に尽きるのかも知れない。

2017年1月 6日 (金)

末梢性顔面神経麻痺について

 顔面神経は、そもそも十二ある脳神経のうち、第七番目の神経です。顔面の動きをつかさどる神経で、まぶたの開閉もします。脳橋(のうきょう)より顔面神経は出ますので、脳橋より上位の脳で脳梗塞や脳出血が起こると、顔面神経障害が起こります。これによる麻痺(まひ)を、中枢性(ちゅうすうせい)顔面神経麻痺といいます。
一方、顔面神経そのものが、なんらかの原因で傷害されて起こる麻痺を末梢性(まっしょうせい)顔面神経麻痺といい、突然発症する原因不明の一側性末梢性顔面神経麻痺のことをベル麻痺といいます。その他に末梢性顔面神経麻痺をおこす病気としては、水痘(すいとう)・帯状疱疹(たいじょうほうしん)ヘルベスウイルスによって引き起こされるラムゼイ・ハント症候群、腫瘍、多発神経炎、サルコイドーシス、多発性硬化症、ライム病、外傷などがあります。
 中枢性であれば、片麻痺などの他の随伴症状(ずいはんしょうじょう)があるのが普通ですし、顔面神経麻痺以外の麻痺が後遺症として残る可能性が高くなります。前回の号でもお話ししましたように、当時の時宗二祖真教上人は高齢で、しかも片麻痺の後遺症があったとすると、あちこち遊行するのは、不可能だと思われます。
また末梢性の中でも、中風と言い伝えられたことを考慮すれば、突然発症したことでしょう。腫瘍やサルコイドーシスなどは発症が比較的ゆっくりであり、また顔面神経麻痺以外の随伴症状を伴います。またラムゼイ・ハント症候群は、確かに片麻痺はありませんし、強い顔面神経麻痺をきたしますが、耳介や外耳道に帯状疱疹できるので、強烈な痛みを伴います。
また時に難聴や味覚障害もおこします。以上より、時宗二祖真教上人がわずらったのは、おそらくベル麻痺かラムゼイ・ハント症候群であったと思われます。そして顔面神経麻痺の後遺症による顔面のゆがみが後世に伝えられた、と考察します。
 ベル麻痺について説明します。原因は不明ですが、近年単純ヘルペスウイルスの再活性化が原因ではないかと言われています。突然発症するのが特徴ですが、耳介後部痛が先行することがあります。そして顔面神経の完全麻痺がおこり、四八—七二時間でピークに達します。
麻痺側の鼻唇溝(びしんこう)(いわゆるほうれい線)だけが消失し、口角が下がり、額のしわも消失します。ですから片側だけが無表情になります。なお、顔面神経麻痺のうち、中枢性なのか末梢性なのかを鑑別するポイントは、額にしわがよせられるか否かです。
中枢性では、額にしわをよせることができますが、末梢性ではしわをよせることができません。また、口笛がうまく吹けなくなり、特に唇音である「パピプペポ」がうまく発音できなくなります。また急性期や重症例では、麻痺側の目を閉じることができなくなり、角膜が乾燥して、傷つけることもあります。
 ベル麻痺を診断する上で特徴的な検査はありません。顔面神経麻痺の患者さんにCTやMRIを施行するのは、ベル麻痺を診断するためにはなく、中枢性顔面神経麻痺をきたすような脳梗塞や脳出血、末梢性顔面神経麻痺をきたす脳腫瘍などの鑑別診断のために施行します。
 治療はベル麻痺もラムゼイ・ハント症候群も、ヘルペスウイルスに対する抗ウイルス薬が有効です。また眼球結膜を保護するために、眼帯と人口涙液を使用します。予後ですが、ベル麻痺による顔面神経麻痺は多くの場合数ヶ月以内に完全回復しますが、後遺症が残る人もいます。ラムゼイ・ハント症候群の場合は、ベル麻痺より予後不良です。

時宗二祖 他阿真教上人のご病気について(1)

Photo_2 平成三一年(二〇一九)には、時宗二祖他阿真教(たあしんきょう)上人七百年御遠忌があります。この真教上人こそが、現在の時宗教団をつくられた方です。

正応二年(一二八九)八月二三日に宗祖一遍上人がお亡くなりになります。このとき厄介な問題が起こりました。カリスマ性をもった教祖の死が、教団の終末を意味する場合、残された信者や高弟達は、その存在価値を失い、教祖の後を追うようにして、集団自殺の危険性が高まることが知られています(これを群発自殺(ぐんぱつじさつ)といいます)。

この時点の時衆(時宗教団に従う出家者と結縁者)もまさにこの危機に陥りました。捨て聖を全うした一遍上人は、教団存続を積極的に望まれなかったために、後継者の指名を行わず、静かに息を引き取りましたので、行き場所を失った大勢の時衆だけが残されました。

実際にその後、目の前の海に身投げをして自殺する時衆が七人いました。真教上人は、彼の周囲に集まった、行き場を失った大勢の時衆を引き連れて、死に場所を求めて彷徨の旅を余儀なくされました。

しかし丹生山(たんじょうさん)で粟河(あわ)の領主に出会い、御賦算(ごふざん)したことを契機に、集団自殺を思いとどまり、真教上人を時宗二祖として、再び遊行が再開されました。後に真教上人は、彼に付き従う時衆が再び路頭に迷うことがないように、しっかりとした教団形成を行いました。

その真教上人は晩年「中風(ちゅうふう)」をわずらった、という言い伝えがあります。中風とは、脳出血や脳梗塞により、運動障害や言語障害のある状態を示す、古い言葉です。この絵をご覧になってください。
一遍、真教両上人の伝記である『一遍上人縁起絵(いっぺんしょうにんえんぎえ)』巻八にある真教上人のお顔です。右側の顔面がゆがんで見えます。現在残されている真教上人の絵や仏像には同様に、右側半分の顔面がゆがみ、右目をすがめた特徴的なお顔となっているものが、いくつかあります。しかし正式な伝記類には、中風を想像させるような記載は残されていません。
ドクター ミネは、この伝承が医学的に見て間違っていると考えています。右顔面がゆがんでいますので、もし中風であったとしたら、左側の脳に梗塞なり出血が起こったことになります。そうなると右側の上下肢と言語機能が傷害されます。真教上人は六十八歳の時に遊行を智得上人に譲って、無量光寺に隠居されますが、隠居後も弟子達の要望に応えてあちこちに出向いておられましたし、八十三歳でお亡くなりになるまで、手紙も書いておられました。
右手、右足が不自由な高齢者が、そもそも徒歩による旅をしますか?まめに手紙を書いたり、和歌を書き残すことが可能でしょうか?現代医療においても、脳出血、脳梗塞は後遺症が問題となります。治療法もなく、リハビリの概念すらなかった鎌倉時代に、ひとたび中風がおこったら、顔面以外の麻痺(まひ)が完全回復するなど、常識では考えられません。
おそらく中風ではなく、突然発症した、末梢性顔面神経麻痺ではないかと考えています。この病気は現在でも、脳卒中との鑑別が必要なる疾患ですので、当時の人が中風と思ったのは無理がないと思います。
 では次回は、時宗僧侶でもあるドクター ミネこと、峯崎賢亮が謹んで、他阿真教上人が晩年わずらったと思われる、末梢性顔面神経麻痺(まっしょうせいがんめんしんけいまひ)についてお話しいたしします。

2014年7月25日 (金)

終末期医療と宗教について⑩

 どんな晩年になろうともそれを受け入れて、田代三喜様がされたように、恥ずかしい、情けないと思うような状況に陥っても、それが老いる、病気になって死んでいくという現実ですから、ありのままの姿を次の世代にみせて死んでいくことこそが、人間として生きてきた最後の役割のように思います。
この問題に関して、昭和の名僧、内山興正(うちやま こうしょう)老師は、実におもしろいことをいっています。
  人生の最後には世捨て人じゃなくて、世捨てられ人のような状態
  になるでしょう。その世捨てられ人のような状態をぐずらずに受け
  て立ち、それを勤め上げることに情熱をもやす。
  その生き方を、「一行に遇うて一行を修す」というのです。
昭和を代表する禅僧でも、老境に入れば、「世捨てられ人のような状態」になられたのかもしれません。しかしそれをぐずらずに受けて立ち、それを勤め上げることに情熱をもやすというのは、いかにも老師らしい言葉です。

2014年7月24日 (木)

終末期医療と宗教について⑨

 医者から突然末期癌を宣告された場合、まずは「否認」がおこります。
嘘だ、何かの間違いだと思い込もうとします。末期癌といえども、はじめはそれなりの体力が残っていますからね。否定してくれる医者を求めて、あちこちの医者を渡り歩く人もいます。しかし、だんだん自覚的にもしんどさが増すようになると、自分が末期癌であることを受け入れざるを得なくなります。
また、手術、抗がん剤、放射線でガンと闘ってきた方も、抗がん剤や放射線が効かなくなる時が来れば、自分が末期癌であることを受け入れざるを得なくなる時期が訪れます。すると自らの不幸を嘆くようになります。
どうして自分だけこんな不幸に会わなければならないのか。俺はそれほど悪いことをしてきた訳でもないのに、世の中には俺よりもっと悪いことをしてきた奴が一杯いるのに、そいつらには罰が当たらずに、どうして俺にだけこんな不幸が来るのか。そういう思いにとらわれて、家族の者や医療スタッフに八つ当たりすることもあります。
 また自分の人生を振り返り、自分の人生がまったく無意味であったように感じたり、過去の出来事に対する罪悪感にとらわれ、特定の人物にどうしても謝罪しなければならないという思いも起こります。これがスピリチュアルペインとよばれるものです。
スピリチュアルペインに関しては、健康法話に詳しくまとめましたので、興味のある方は、ご参照ください。
 私達は、死ぬという体験ができません。自らに死が訪れた時には、体験自体が終わってしまうからです。私達に可能な死の体験は、いつも「死なれる」という体験だけなのです。死なれるという体験を通して、自らに死が訪れることを考えさせられるのです。
しかも死に方を選ぶこともできません。生まれてくる時や場所を選べないように、いつ、どこで、どんな状態になって死ぬのかということも選ぶことができないのです。末期癌で死ぬかもしれないし、卒中で寝たきりになって死ぬかもしれない。案外ポックリ死ぬかもしれない。
 私はこう思うのです。これをご覧になっている方々は皆、今までずっと一所懸命に生き、そして自分の責任を果たしてこられたはずです。そして一所懸命に生きた先に、終末期がやってきます。ですから、どのような状態になろうとも、その死に様というのでしょうかね。死んでいく姿を次の世代に見せるというのが、最後の最後に残された役目のように思うのです。
脳卒中や認知症でぐずぐずになって、家族に迷惑を掛けるかもしれない。癌による闘病生活で、家族に苦労をかけるかもしれない。でもそれが、決して避けることのできない、死ぬという現実なのです。きれい事では済まない現実なのです。後に残る人達は、介護することで、自分の時間を犠牲にし、時に悩み、時に苛立ち、時に八つ当たりするかもしれない。
しかし、そういったすべての体験を通して、次の世代は、自分にもいつか、死が訪れることを学ぶのです。私達はぎりぎり最後の仕事として、田代三喜様ほどのことはできないにしても、後に残る大切な家族や、多くの次の世代の方々に、人はこうやって死んでいくものだという現実を見せることで、死を学ばせるという役目があるように思います。
きれい事では済まない現実。アンケートでは81%の人が延命治療を望まないと答えていますが、答えている人のほとんどは人ごとです。実際に自分の親がそういう状況になって、その選択を迫られたら、大変悩みながら決断することになります。テレビやドラマではない、ぎりぎりの現実の体験です。しかしその体験を通して次の世代は、自分の死について考えるのです。

2014年7月23日 (水)

終末期医療と宗教について⑧

 他人事としては、胃瘻で生かされている人をみると、自分はこんな状態になってまで生きていたくない、という思いが生じます。
だから、七割以上の人が胃瘻を望まないと回答しています。しかし一方、胃瘻を作らなければ、月単位、年単位の寿命を縮めることを意味します。寝たきり状態になった本人は、意思表示できませんから、胃瘻を作るか否か、家族がその決断を迫られます。もし仮に本人が元気なときに、終末期になったら胃瘻も人工呼吸器もいらない、といっていたとしても、胃瘻を作らなければ、結果として月単位、年単位の命を縮める可能性があると知ったらどうでしょうか。
一方、胃瘻をつくっても脳卒中による麻痺はよくならないし、認知症もよくなりません。つまり寝たきり状態はまったくかわりません。寝たきりの状態で寿命だけが延びるということです。「延命措置としての胃瘻や人工呼吸器装着を拒否する」という本人からの、遺言書のような法的効力のある文書でもないかぎり、胃瘻拒否という決断を、家族本人に変わって行うのは、相当悩むことになります。
本人が元気なときに、延命処置はいやだといっていたという理由で、家族が胃瘻をつくらないという方針を固めたとしても、普段病院に見舞いに来ないような親族がたまたまやってきて、無責任な正義感を振り回して「お前達は○○を見殺しにするのか」といわれると、決断が鈍ります。
こういう無責任な正義感を振り回す輩にかぎって大変な介護を手伝うわけでもなく、口だけ出すのです。世の中には、自分が実際に手を汚す必要がなければ、大声で、無責任な正義感をふりかざす輩がいるのも現実です。
平成25年お亡くなりになったアンパンマンの作者、やなせたかしさんの言葉を思い出します。
「正義とは何か。傷つくことなしには正義は行えない」

2014年7月22日 (火)

終末期医療と宗教について⑦

 胃瘻の場合は、人工呼吸器以上に悩ましい問題があります。本来、ものを飲み込むという行為は、胎児の時代から無意識のうちにやっている行為なので、簡単に考えがちです。
しかし脳神経学的には、実に多くの神経とそれに関与した筋肉によって行われています。口は、食べ物の道と呼吸の道と共通です。咽で、呼吸の道は気道、食べ物の道は食道に分かれます。一日の多くは呼吸のために、気道が使われています。
しかしものを飲み込む場合は、食べ物や飲み物が気道に入らないように、まずふたをします。同時に呼吸も止めます。その状態で、周囲の筋肉を使って、食べ物を勢いよく食道に送り出します。その後は食道が、自律神経の働きで、食物を胃へと送ります。食べ物がすべて食道にいったことが確認できたら、気道のふたを開けて、呼吸を再開します。
これを三度の食事、おやつを食べているとき、お茶やコーヒーを飲んでいるとき、そして一日約2L出ると言われる唾液も飲み込んでいます。それがもし、脳血管障害などのために、このシステムのいずれかに不具合が生じると、食べたものや飲み物が食道に送れないばかりか、気道に入る事もあります。
食べ物や飲み物が肺に入ると、猛烈な拒否反応がおこります。これが嚥下性(えんげせい)肺炎です。現在死因第3位が肺炎ですが、これは嚥下性肺炎も含まれるからです。
 ですから、脳に障害が起こると、まずは絶食にして様子を見ます。その後、造影剤を飲み込ませてみて、肺に入らないかどうか確認します。もし少しでも肺に入るようであれば、嚥下性肺炎で死ぬことになるので、医者は胃瘻を勧めるのです。元々胃腸に問題はないので、胃瘻ができれば食べ物ばかりではなく、内服薬も今まで通り服用できますし、脱水にならないように水分補給も可能です。
嘔吐による誤嚥(ごえん)、唾液の誤嚥だけは防げませんが、胃瘻を作ると、その後年単位で寿命が維持されることも稀ではありません。つまり、寝たきりの状態で生き続けるのです。

2014年7月21日 (月)

終末期医療と宗教について⑥

 ただ、衰弱して意識もない状態で、胃瘻や人工呼吸器に繋がれて、かろうじて生命を維持している姿をみると、これが人間の尊厳を維持した姿と言えるのだろうか、という思いにとらわれます。
最近では、特に末期癌の場合、前もって胃瘻や人工呼吸器を望むか否か、本人や家族と相談します。末期癌の場合、すべての臓器が衰弱していますので、胃瘻をつくって無理矢理栄養を押し込もうとしても、吐いたりして、かえって患者を苦しめることになります。呼吸に関しても同じ事が言えます。
ですから末期癌の多くの場合は、人工呼吸器も胃瘻も行いません。アンケートによれば水分補給のための点滴だけは61%の人が希望すると答えていますが、現場では、この点滴もできる限り行いません。末期癌の終末期、痰が増えます。痰がつまれば苦しいし、かといって自分で痰を出す力もなくなりますので、やむなくチューブで強制的に吸引します。
しかしこれが患者にとっては相当苦しい思いをさせます。終末期における水分補給は、この痰を増やして患者を苦しめる結果となりますので、穏やかにできるだけ眠ったような最後を迎えていただくためには、余計な点滴をしないことが重要なのです。
 悩ましい問題が多いのは、認知症や脳卒中の終末期の場合です。まずは人工呼吸器に関して申します。現代では、寝たきりの終末期患者さんが、徐々に呼吸が弱くなれば、人工呼吸器をつけても余命延長はそれほど期待できないので、ご家族と相談して、人工呼吸器を装着しないという選択が多く行われています。
しかし脳卒中の急性期で呼吸が停止すれば、現在では救急救命士が気管内挿管を認められていますので、救急センターにて人工呼吸器に装着されると思います。その後自発呼吸がでてくれば、人工呼吸器を外すことができますが、自発呼吸が出てこないと、ずっと人工呼吸器で生かされるという状態になります。

2014年7月20日 (日)

終末期医療と宗教について⑤

 平成25年10月12日の読売新聞にアンケート調査の結果が掲載されました。それによると、終末期において、延命治療を望まないと回答した人が81%にも上りました。
また同年6月28日の読売新聞には、胃瘻(いろう)に関する意識調査が掲載されていて、7割以上の人が終末期における胃瘻を望まないとのことでした。人工呼吸器装着に関しても同様の回答が得られました。胃瘻というのはどういう物かと申しますと、お腹に穴を開けて、胃に直接バルーンチューブをいれて、これを留置し、このチューブから栄養や水、薬などをいれるというものです。
 私達は一日およそ2200—2400キロカロリーを摂取しています。生命維持の為には、年齢や体格にもよりますが、1400キロカロリー程度は必要になります。これを皆さんがよくご存じの「点滴」で補うことができるかというと、全く不可能です。一日中点滴をしても、せいぜい300キロカロリー程度です。1000キロカロリー以上不足してしまいます。
だから、手術などのために、一時的に食事をとることができない患者では、中心静脈栄養といいますが、カテーテルを頸や鎖骨下から心臓まで挿入して、心臓に高濃度の栄養をいれるという方法をとります。この方法の最大の問題点は感染です。高濃度の栄養をいれるカテーテルですから、どんなに消毒して留置しても、永く留置すれば、そのカテーテルに沿って細菌が入り込んで、敗血症をおこします。
ですから、留置できるのがせいぜい1ヶ月限度ですので、いわゆる終末期の医療には向きません。一方胃瘻は、たしかにチューブがお腹の外に出ていますが、もともと消化管は菌と仲良く暮らしている臓器ですし、特に胃は、常に塩酸が胃液として分泌されているため、特殊な菌以外は胃液により死滅してしまいます。普段から食べ物を介して細菌も入ってくる場所なので、胃瘻を通じて細菌が混入しても、ほとんど問題が起こりません。しかも胃瘻が不要になれば、そのまま抜けば、勝手に閉じてしまいます。

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