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健康法話

2018年3月14日 (水)

終末期医療について(4)

ドクターミネの毒舌健康法話
 前回は胃瘻(いろう)、人工呼吸器について説明しました。他人事としては、延命治療によって生かされている人をみると、自分はこんな状態になってまで生きていたくない、と感じるので、八割の人が延命治療を望まないと回答しています。しかし実際の場合、脳卒中や認知症で寝たきり状態になった本人は、意思表示できませんから、特に胃瘻を作るか否か、家族がその決断を迫られます。確かに胃瘻を作らなければ、月単位、年単位の寿命を縮める可能性があります。しかし胃瘻をつくっても麻痺(まひ)や認知症は改善しません。つまり寝たきりの状態で寿命だけが延びるということです。
 家族が悩み抜いた末に、胃瘻をつくらないという方針を固めたとしても、普段は病院に見舞いに来ないような親族がやってきて、無責任な正義感を振り回して「お前達はこいつを見殺しにするのか」といわれると、決断がにぶります。こういう無責任な正義感を振り回す輩(やから)にかぎって大変な介護を手伝うわけでもなく、口だけ出すのです。世の中には、自分が実際に手を汚す必要がなければ、大声で、無責任な正義感をふりかざす輩がいるのも現実です。アンパンマンの作者、やなせたかしさんの言葉を思い出します。
「正義とは何か。傷つくことなしには正義は行えない」
 一方胃瘻を造らないという決断は、自然死を自宅で迎えることを意味します。病院は本来治療をするべき場所ですから、ただ自然死を待つだけの患者を入院させておくことはできません。退院して、もし一日一本程度の点滴を望まれるのであれば、自宅で往診医に頼むことになります。第二回目でお話ししたように、二〇三〇年には三人に一人が六十五歳以上の高齢者となりますので、入院ベッドが圧倒的に不足します。ですから、特に今後は、自然死を望むということは「自宅での死」を念頭に置いたうえで、準備を進める必要があります。
 私達は、死ぬという体験ができません。私達に可能な死の体験は、いつも「死なれる」という体験だけです。死なれるという体験を通して、自らの死を考えるのです。しかも死に方を、選ぶことができません。末期癌で死ぬかもしれないし、脳卒中や認知症で寝たきりになって死ぬかもしれない。案外ポックリ死ぬかもしれない。
 ドクターミネの健康法話をお読みくださる方々は皆、今までずっと一所懸命(いっしょけんめい)に生き、そして自分の責任を果たしてこられたことでしょう。そして一所懸命に生きた先に、終末期がやってきます。ですから、どのような状態になろうとも生き切る。言い換えれば、その死に様を、死んでいく「ありのままの姿」を次の世代に見せるというのが、最後の最後に残された役目のように思います。後に残る次の世代の方々に、人はこうやって死んでいくものだという現実を見せることで、死を学ばせる。これが人生最後の仕事だと思います。脳卒中や認知症で家族に迷惑を掛けるかもしれない。癌による闘病生活で、家族に苦労をかけるかもしれない。でも、それが死ぬという現実です。
アンケートでは八割の人が延命治療を望まないと答えていますが、答えている人のほとんどは他人事です。実際に自分の連れ合いや親、時には子供がそういう状況になって、その選択を迫られたら、大変悩みながら決断することになりますです。死に方を選択できないのであれば、どのような死に方になろうとも、念仏を称えて受け入れる。念仏は、よりよい死を迎えるためのものではありませんが、結果として、どのような死に方になろうとも、念仏を称えてすべてを受け入れる。お迎えが来るまで、どんな事があろうともとにかく生き抜いて、その死んでいく姿を次の世代に見せる。これが私達のするべき最後の仕事だと心得ています。

終末期医療について(3)

ドクターミネの毒舌健康法話
 私達は一日約二二○○キロカロリー程度を食べています。最低限の生命維持には一四○○キロカロリー程度は必要です。よくご存知の点滴で補えるのは、一日中点滴をしても、せいぜい三〇〇キロカロリー程度です。一〇〇〇キロカロリー以上不足します。もし手術のために一時的に禁食となる患者には、頸静脈(けいじょうみゃく)や鎖骨下静脈(さこつかじょうみゃく)からカテーテルを心臓まで挿入(そうにゅう)して、心臓に直接高濃度の栄養をいれます(中心静脈栄養)。この方法の最大の問題点は感染です。高濃度の栄養をいれるカテーテルですから、どんなに消毒して留置しても永く留置すれば、そのカテーテルに沿って細菌が入り込んで、敗血症をおこします。ですから、留置できるのがせいぜい一ヶ月限度ですので、終末期医療には向きません。一方胃瘻(いろう)は、チューブがお腹の外に出ていますが、もともと消化管は菌と仲良く暮らしている臓器で、特に胃は塩酸が胃液として分泌(ぶんぴつ)されているため、胃液により菌はある程度死にします。その先の腸は、そもそも乳酸菌や大腸菌といった菌が生息していて、いわゆる陣地を造っていますから、外から菌が侵入してきても、それらを排除します。ですから、胃瘻を通じて細菌が混入しても、ほとんど問題が起こりません。
 ただ、衰弱(すいじゃく)して意識もない状態で、胃瘻や人工呼吸器につがれて、かろうじて生命を維持している姿をみると、これが人間の尊厳(そんげん)を維持した姿といえるのか、と感じられます。末期癌の場合、すべての臓器が衰弱していますので、胃瘻をつくって無理矢理栄養を押し込んでも、かえって患者を苦しめることになります。呼吸に関しても同じ事が言えます。ですから末期癌の多くの場合は、人工呼吸器も胃瘻も行いません。
 悩ましいのは、脳卒中や認知症の終末期の場合です。慢性期で寝たきりとなった終末期患者が、徐々に呼吸が弱くなれば、人工呼吸器をつけても余命延長は期待できないので、ご家族と相談して、人工呼吸器を装着しないという選択が可能です。しかし脳卒中急性期で実施された人工呼吸器の場合は、慢性期で自発呼吸が出てこなければ、人工呼吸器をはずすことができず、いやが上にもずっと呼吸器がついたままの状態になります。
 胃瘻の場合は異なった問題が生じます。そもそも口は、食べ物の道(食道)と呼吸の道(気道)と共通です。のど(喉頭(こうとう))で気道、食道に分かれます。飲み込む場合、食物や飲み物が気道に入らないように、まず気道にふたをして呼吸を止めます。食物がすべて食道に入った後、気道のふたを開けて呼吸を再開します。それがもし、脳血管障害などでこのシステムに不具合が生じると、食物や水が食道に送れないばかりか、気道に入る事もあります。食物や飲み物が少しでも肺に入ると、重篤(じゅうとく)な肺炎をおこし(嚥下性肺炎(えんげせいはいえん))死にいたります。ですから医師は胃瘻を勧めるのです。嘔吐(おうと)による誤嚥(ごえん)や、一日約二リットル出るだ液の誤嚥は防げませんが、胃瘻を作ると、その後年単位で寿命が維持されることもまれではありません。
 他人事として人工呼吸器や胃瘻の患者をみると、こんな状態になってまで生きていたくないと感じて、七割以上の人が胃瘻等を望まないと回答します。しかし実際に脳卒中で寝たきりになった場合、自分では意思表示できませんから、胃瘻を作るか否か、家族がその決断を迫られます。胃瘻をつくっても、麻痺(まひ)や認知症はよくなりません。ただ寝たきりの状態で寿命だけが延びるのです。「延命措置としての胃瘻や人工呼吸器装着を拒否する」という本人からの、遺言書のような法的効力のある文書でもないかぎり、家族は迷いながら決断するのです。

終末期医療について(2)

ドクターミネの毒舌健康法話
 通常の医療と終末期医療との決定的な差は、ゴールの違いです。通常の医療は治癒(ちゆ)(完全に治ること)軽快(よくなること)がゴールです。そのゴールに向かって治療しますので、医師と看護師が中心となります。しかし終末期医療の場合、ゴールは「死」です。治癒、軽快が、すでに望めないからこその終末期医療です。ですから、よりよい「死」を迎えていただくために、あらゆる職種の方と、そして家族が一丸となってお世話します。最近では臨床宗教師により、宗教的な領域に対するケアも行われるようになってきました。
 一方同じ終末期医療でも、末期癌(がん)の終末期と、脳卒中や認知症で寝たきりとなった終末期では、一番異なる点はゴールが予想できるか否かです。末期癌の場合、元々の癌の悪性度、進行度、採血データなどから、余命が三ヶ月、半年と、ある程度予想できます。しかも末期癌といっても、本当に介護が必要となるのは最後の一、二ヶ月です。ですから、患者と家族が自宅での最期を希望する場合、介護保険も適応になりますので、訪問看護師や在宅ガン専門医に協力してもらい、その一、二ヶ月間を全力投球すればいいのです。緩和(かんわ)ケア病棟(末期癌患者の入院する病棟)に入院するにしても、入院期間はせいぜい一ヶ月程度です。現在では、申請すれば介護休暇が得られます。その期間中は給与が一部カットされますが、最大で三ヶ月休むことが可能ですので、この制度を充分に活用できます。
 しかし、脳卒中や認知症で寝たきりとなった終末期患者の場合、この予想がたちません。合併症により一ヶ月で死亡するかもしれないし、十年寝たきりという方もいます。いつまでがんばればいいのか予想ができないまま、がんばり続けることを要求されます。先が見えぬまま介護し、あっという間に介護休暇期間を使い果たしてしまい、場合によっては家族の誰か、退職せざるを得なくなります。決してきれい事ではすまない現実です。
 皆様方は「二○三○年問題」をご存じでしょうか?二○三○年になると、三人に一人が六十五歳以上になります。六十五歳以上になれば、入院が必要な病気になる人の割合が増加します。しかも近年、九割の方は病院で死にますので、当然ですが入院ベッドが圧倒的に不足する事態になります。医療財政の面を考えても、所得税を納める年代が今後、全体の三分の一になりますので、その財源をどうするのかという大問題が生じます。選挙前になると、その場限りの、口先だけの「減税」を公約する候補者が見受けられますが、目の前に迫った「二○三○年問題」は、決してさけては通れないことを認識しておく必要があります。
 平成二十五年の読売新聞にアンケート調査によると、終末期において、延命治療(えんめいちりょう)を望まないと回答した人が八割でした。胃瘻(いろう)、人工呼吸器に関しては、七割以上の人が終末期においては望まないと回答しました。人工呼吸器は通常、急性期や急変時に使用されるもので、心臓は動いているが、呼吸が停止した、ないしは弱くなってきた場合に用います。胃瘻は、水や食べ物がうまく飲み込めない患者に挿入(そうにゅう)します。お腹に穴を開けて、胃に直接バルーンチューブをいれて留置し、このチューブから栄養や水、薬などを入れます。かつては鼻から胃まで管を入れて、そこから水や栄養を入れていました。しかしそもそも、のみ込みができない患者に入れるので、挿入自体が困難で、しかもチューブの定期交換のたびに患者に苦痛を与えなければなりませんでした。それに対して胃瘻は、太いチューブを挿入できるし、交換も比較的容易であり、苦痛もありません。しかも不要になれば、ただ抜去するだけ(自然に穴が閉じる)ですので、近年多用されるようになりました。

終末期医療について(1)

ドクターミネの毒舌健康法話
 昨今「終活(しゅうかつ)」という言葉をよく耳にします。終活とは、ぎりぎりの終末期(死が目前にせまっている時期)では、お墓や遺産相続の問題などの、社会的な問題を解決することなどできませんから、前もって問題を解決しておく、という活動のことです。もし自分が不治の病になった時にどうしてほしいか、といった希望もあれば、それを正式に伝えることも含まれます。要はお迎えが来たら、胸を張って威風堂々(いふうどうどう)とこの世を去っていくための準備です。
 終活に関する社会的問題について語るほどの知識はありませんから、ドクターミネは、自分が不治の病になった時にどうしてほしいか、という希望のある方々のために、終末期医療に関して4回に分けてお話しいたします。
 ドクターミネは丙申の生まれですので、還暦を過ぎました。ですから終末期医療の問題は、決して他人事ではありません。皆さんは、できれば苦しまずにポックリ死にたいと思っていませんか?正直に申し上げます。私も同じです。口には出しませんがね。
 こんな話を耳にしたことがあります。少し前に「ポックリ観音」なるものがブームになりました。家族に苦労かけながら、自分も苦しみながら死ぬのはいやだ、できるならばポックリ死にたい、という希望をかなえてくれる観音様を、あるお寺で建立したら、大勢の参拝客が集まるようになった。そこである旅行社が、ポックリ死にたいという高齢者を集めて、ポックリ観音参拝ツアーを企画したら、びっくりする程の客が集まったそうです。無事に参拝して、帰る途中、参拝客の一人がバスの中で突然意識を消失しました。
旅行社はあわてて病院に運びましたが、結局帰らぬ人になりました。これって、ほとんど苦しまずにあっという間に死んだのですから、いわゆるポックリ往生ですよね。この観音様はまさに「霊験(れいげん)あらたか」ということです。ところがこのツアーは、翌年から誰も応募しなくなったそうです。ドクターミネは大田南畝(おおたなんぽ)の狂歌を思い出しました。
「いままでは 人の事だと思ふたに 俺が死ぬとはこいつはたまらん」
 高齢の患者さんからはしばしば、家族に迷惑をかけたくないからポックリ死にたい、という言葉をよく聞きます。しかし実際にポックリ死なれると、後に残された家族は大迷惑です。病院で死のうが、自宅で死のうが、医者の管理下で死ぬ場合は、死因がわかっていますのですぐに死亡診断書が出ます。
しかし死因のわからないポックリ往生の場合、警察医が呼ばれ、まず事件性の有無を調べます。そして最近ではAIと呼ばれる、死因判定のためのCT検査が行われます。ここで死因が判定されれば、警察医による死体検案書が出ますが、もし事件性が少しでもある場合、ないしは死因が判定できない場合は、司法解剖となります。
司法解剖は、裁判所からの執行命令が必要になります。執行命令が下りると、司法解剖のできる施設に送られ、司法解剖の結果に基づいて死体検案書が作成されます。その間約1週間かかります。そして待ったなしの一連の弔い事と遺産相続。どこに何がしまってあるのかわからず慌てふためき、追われるように通夜、葬儀、そして七七日法要と納骨。実際に母親にポックリ死なれた先輩は、こう言っていました。
「お袋が死んで、もうだいぶたつのに、お袋の亡くなる前日の顔と、こたつで死んでいたあの日の姿を、今でも時々思い出すんだ。卒中で十年間寝たきりで死んだ親父の姿は、まったく思い出さないのに。」
 確かに病気になって入退院を繰り返して死んでいけば、家族には大いに負担になる。でもそうやって徐々に弱りながら、遂に最期の時を迎えるという死に方の方が、後に残る家族は死を受け入れやすいのかもしれません。

2017年1月 6日 (金)

減量の話(4)  峯崎賢亮

 成人男性の場合通常、一日2600Kカロリー位摂取していますので、減量するためには、1800Kカロリー程度に減らす必要があります。活動する朝、昼を少し多めにして、夕を少なめにするという分配方法が理想ですが、これでお酒を呑むと、確実にカロリーオーバーです。そこでドクター・ミネが実行したのは、一日一食ダイエット法でした。
とにかく朝、昼は空腹を我慢する。そして夕食1食に1800Kカロリーを集中するという方法です。一食1800Kカロリーならばお酒を呑んでもカロリーオーバーになりません。例えばビール中瓶200Kカロリー、日本酒1合200Kカロリーですから、食事とおつまみに1400Kカロリー食べられます。野菜サラダと野菜の煮物160Kカロリー,あじの塩焼き1匹80Kカロリー,枝豆80Kカロリー.マグロの赤身と鯛の刺身が、少し小さめの切り身であればあわせて8切れで480Kカロリーをつまみに食べて、締めの牛丼640Kカロリー。これなら継続可能でしょう。
ドクター・ミネは、特にアルコールに関して工夫を加えました。日本酒一合分(180ml)を基準に換算すると、ビールならば540mlで210Kカロリー。ワインなら225ml(グラス一杯60mlとして3.5杯分)で180Kカロリー。焼酎なら108mlで170Kカロリー。ウイスキーなら60mlで160Kカロリー。アルコール量とカロリー量を計算しやすいように、前もって日本酒1合相当分の各種のお酒を、計測カップを使って計測し、コップなどに印をつけておきました。また野菜サラダであれば、ドレッシングなど使わず、ポン酢で食べました。
どうしても昼に空腹がつらければ、おにぎり1箇と豆腐半丁を食べました(240Kカロリー分を夕食では減らす)。また、仕事の関係で夕食が遅れる時などは、空腹に堪えるために、沖縄の黒砂糖を1箇ないし2箇食べました。脳の満腹中枢は、ブドウ糖によりコントロールされていますので、少量のブドウ糖補給により落ち着きます。これにより一ヶ月で、体重が5Kg低下しましたが、ここで一旦下げ止まりになりました。そこで有酸素運動を開始しました。これにより一年間で90Kgあった体重が75Kgまで減少しました。
 この方法は、お酒の好きな諸兄には好都合です。しかし最大の問題点は、一日一食にすることによる膵臓への負担です。食事をすると、その都度血糖上昇を押さえるために膵臓からインスリンが分泌されます。食後に高血糖となる糖尿病患者では、一日分のカロリーを一食に集中すると、インスリン分泌が追いつかなくなり、確実に糖尿病が悪化します。現在糖尿病を発症していない方でも、糖尿病が心配となる年代で実行するのは、お勧めできません。
 「ダイエットしても、おっぱいだけが小さくなって、お腹の脂肪が全然減らない」という女性の嘆きの言葉を、しばしば聞きます。実は女性の乳房の大きさの差は、乳腺の量ではなく、脂肪の量の差です。生命に直接かかわっていない脂肪なので、脂肪燃焼が必要な時には真っ先に使われます。逆にお腹の脂肪は、大切な臓器を守る働きをしています。若い世代ならば筋肉でお腹を保護できるでしょうが、中年以降になれば、脂肪がクッションとなってお腹を保護しています。
だから脂肪燃焼が必要なときには後回しになるのです。そもそも大病を患えば、必ず体重が減少します。大病と闘うにしても、大病を抱えながら共に生きるにしても、減少するだけの体重があるのとないのでは、どちらが有利でしょうか?体重を測定することは重要です。
しかし高齢者になったら、無理に体重を減らすという「考え」を捨てることも重要です。減量のために運動するのではなく、大病に備えての体力維持、日常生活に支障をきたさないように、転倒予防ための筋肉維持を目的とした運動を継続する必要があるのです。

減量の話(3)  峯崎賢亮

 食事に関してはどうでしょうか。成人男性の場合通常、一日2600Kカロリーぐらい取っています。ですから減量しようと思ったら、食事を男性なら1800Kカロリー、女性なら1600Kカロリー程度にしなければなりません。カロリー計算をする上で、糖尿病の食事療法に関する本が役に立ちます。糖尿病では80Kカロリーを1単位として計算します。1800Kカロリーですと、22.5単位ということになります。つまり23単位以内に納めるということです。

しかしこれは結構大変ですよ。ドクター・ミネは茨城県民ですから、朝は納豆卵かけご飯が一番です。ご飯茶碗一杯のカロリーが3単位ですから、240Kカロリー。小さいパックの納豆も、卵もそれぞれが1単位ですから、それで160Kカロリー。それにお新香と味噌汁でだいたい1単位。つまり大好きな納豆卵かけご飯とお新香、味噌汁で6単位の480Kカロリーです。昼にラーメン食べると、これが6単位ぐらいですから、夕食に食べられるのが、1012単位です。これはカツ丼1杯に相当します。

カツ丼にビールつけるとビール分がアウトです。減量のための食事療法は、継続しなければ意味がないので、容易ではありません。空腹にたえきれずに失敗するケースが多いのはこのためです。ですから、減量のための食事療法を継続するためには、何らかの工夫が必要なのです。その工夫に人それぞれの方法があるので、ダイエット本が星の数ほど出版されるのです。

前回お話ししたように、摂取カロリーを減らすダイエット法なのか、消費カロリーを増やすダイエット法なのかを判断できないようなダイエット法は、実行しない方が好いと思われます。それ以外にも、年代によっては、または持病によっては、このダイエット法は身体に良くないというものもあります。

 減量の成功の可否を握っているのが、動機なのです。10代、20代の頃は、異性にもてたい、そのためにはかわいい、格好いい服が着られるように減量する。これは立派な動機です。恥ずかしながらドクター・ミネも、19歳で初めてダイエットをした動機は、まさにこれです。それが中年になると、これがあまり有効な動機ではなくなります。成人病予防のためのメタボ対策。これも、よっぽど身近な人が成人病で倒れない限りあまり強い動機にはならないようです。

ドクター・ミネも同様で、40歳のころは90キロの体重がありました。ところがダイエットに再挑戦をするきっかけとなったのは腰痛でした。しかも介護保険の認定審査委員会を任されるようになると、多くの高齢者の生活状況を知ることになりました。例えば脳卒中になると、介護してもらうにしても、自分がリハビリをするにしても、体重が重いと不利益になります。

また生命の危機に直結する病気をもっていない高齢者の場合でも、太っていると、どうしても膝や腰を痛めてしまい、加齢に伴う「整形外科の病気」のために自立生活に支障をきたすのです。しかも高齢者になると、整形外科医から減量しろといわれても、現実問題としては、癌のような大病を患わない限り体重が減りません。それは高齢者の場合、消費するカロリーが激減するからです。その一番の理由が筋肉の減少です。

筋肉が多ければ、じっとしている時でも熱としてエネルギーを放出しますので、寒さに強いのですが、高齢者が寒さに弱くなるのは、筋肉からの熱放出が減るからです。つまり高齢者になってから減量しようと思っても「遅かりし由良の助」なのです。

将来「整形外科的な痛みを伴う病気」を予防するためには、40代、50代の時に、減量の努力をしなければならないのです。次回はドクター・ミネが実際に行った方法を紹介します。

減量の話(2) 峯崎賢亮

 体重は水分量と、飲み食いしたカロリーと、消費するカロリーのバランスで保たれています。体重別スポーツ競技選手の場合、計量時の体重が問題となりますので、最後は水分を減らして階級体重内に収めます。しかしこれは脱水状態ですから、命の危険を伴いますので、長期間維持することは出来ません。

ですから安全に減量しようと思ったら、飲み食いするカロリーを減らすか、消費するカロリーを増すしかありません。単純な理屈です。ですから、皆様方が何らかの方法でダイエットを始める際に、その方法が安全かどうかを検証する場合、摂取カロリーを減らす方法なのか、消費カロリーを増やす方法なのか、どちらに当てはまるかを考えてください。

例えば、食事を始める前には充分な野菜を食べ、それから通常の食事を始めるという方法は、摂取カロリーを減らすことで減量に導きます。毎日30分以上歩く、という減量法は、逆に消費カロリーを増やす方法です。医学的には、どんなダイエット法でもこの原則が成り立ちます。

判定できないような方法は、いんちきか危ない方法かもしれないので、実行しない方がよいと思います。前回お話しした「甘い物や穀物を一切取らない」というダイエット法は、どちらになると思いますか?わからないでしょう?この薬さえ飲めば痩せられるというのも、どちらかわからないでしょう?摂取カロリーを減らす方法なのか、消費カロリーを増やす方法なのか、判定できない方法は手を出さないことが一番です。

 よく医者から「減量しろ」といわれて、食事制限をせずにいきなり運動を始める人がいます。空腹を我慢するのは苦痛ですからね。しかし運動だけで減量が可能なのは10代、20代の話です。百歩譲っても30代までです。不惑の40歳を超えたら、運動だけで減量するのは不可能です。

例を上げましょう。ご飯茶碗一杯はおよそ240Kカロリーです。これを普通の歩行で消費しようとしたら、どのくらいの運動が必要だと思いますか?1時間20分ですよ。1時間一所懸命歩いて汗をかいて、咽が渇いたからといって生中、つまり中ジョッキの生ビールを一杯飲む分にはセーフですが、おかわりするとアウト!です。運動だけで減量するというのは、中高年以降になったら、絶対に不可能です。

ちろん運動は必要ですが、それは継続することに意味があります。運動を継続していけば、筋肉がつきます。ほら、プロレスラーや相撲取りが真冬でも薄着で平気ですよね。あれは筋肉量が多いからです。筋肉は特に動かしていないときでも熱を産生していますから、じっとしている時のエネルギー消費量が増えます。つまり運動は、継続することで筋肉がつき、じっとしているときのエネルギー消費量が増えるから、減量できるのです。

短時間ではなく、継続してエネルギーを必要とする場合は、エネルギー単価の高い脂肪を燃焼してエネルギーを獲得します。ですから運動の継続により筋肉が増えていくと、徐々に脂肪も減少するのです。

 ところが普段運動していない人が、いきなり運動するから膝や腰を痛めます。確かに歩行のような有酸素運動は、脂肪燃焼には効果的ですが、今時田舎道でも舗装されていますよ。舗装された道は、歩くときの衝撃をまったく吸収しませんから、その衝撃がもろに膝や腰にきます。だから膝を痛めやすいのです。

しかも運動すると食欲が増しますので、いきなり運動して膝を痛め、運動できなくなっても食欲だけは旺盛になり、結局太るのです。何のための減量だ、ということになります。まずは食事療法で、一キロでも二キロでも減らして、胃をすこし小さくしてから運動を始めるのがよいでしょう。しかも関節を痛めないように、準備体操、整理体操のストレッチも忘れずに行う必要があります。

 

減量の話(1) 峯崎賢亮

 最近話題になっているダイエット法の中に、炭水化物と糖分を、極力摂取しないというものがあります。炭水化物以外の食べ物は制限されないので、減量で一番苦しい、空腹を我慢する必要がありません。ですから一見、楽な方法のように考えがちですが、この方法は危険を伴います。

実際にこのダイエット法で減量に成功した六十代の男性が突然死したことで、週刊誌等で話題にもなりました。いいですか。糖類、穀物を一切とらないと、脳を犠牲にしますからね。

 そもそも生きるためのエネルギー源となるのは、ブドウ糖、脂肪、タンパク質、乳酸です。成人の場合、一日あたりおよそ2400—2600Kカロリー程取っています。その中でもブドウ糖が、身体のどの部位でも手軽にエネルギーに変換できる、最も使い勝手のよいエネルギー源です。ですから総エネルギーの約六、七割はブドウ糖です。

ブドウ糖の供給源が炭水化物(糖類)です。ちなみに採血で「血糖」を計りますが、これは血液中のブドウ糖を測定しています。一方脂肪は、1グラムあたりのエネルギー単価は一番多いのですが、いかんせん使い勝手が悪い。あっちこっちについた脂肪がどんどんエネルギーとして消費されればいいと思うでしょう?

しかしそうは問屋が卸さない。エネルギーとして使うには、結構手間がかかるし、使い勝手が悪いため急場には間に合わず、どうしても後回しにされます。だから少々減量努力をしても、皮下脂肪は減らないのです。蛋白は身体の重要な構成成分ですが、エネルギーとしても利用可能です。


しかしブドウ糖ほど手軽なエネルギー源ではありません。乳酸にいたっては心臓、筋肉、肝臓以外では利用できません。結局ブドウ糖こそが、どの臓器でも手軽にエネルギーを得られる、最高のエネルギー源なのです。

 そして重要なのは、脳という臓器はブドウ糖のみで働いていることです。長時間脳を使うと、無性に甘い物が食べたくなりますよね。これは脳がブドウ糖を要求しているのです。脳は身体の中では特別扱い、つまり「お殿様」なのです。

脳重量は、体重の僅か2%ですが、全身で消費されるブドウ糖の25%を消費しています。ブドウ糖がエネルギー源として消費されるためには充分な酸素が必要ですが、全身で使う酸素のうち20%が脳で消費されます。

ブドウ糖も酸素も血液から供給されますので、心臓が送り出す血液のうち15%が脳に送られています。もし血液が充分に送れないような緊急事態になると、他の臓器は「我慢せい」で、お殿様の脳にだけ血液が送られる仕組みになっています。

しかもブドウ糖というのはあまり貯蓄できません。グリコーゲンという形で肝臓や筋肉にわずかに蓄えている程度で、他はすべて中性脂肪に変えられて蓄えます。しかし一旦脂肪に変えてしまうと、再びブドウ糖に戻すことはできません。

ですから穀物や糖分をまったくとらないと、ブドウ糖が激減するので、わがままなお殿様が怒り出す。他の臓器は脂肪でも蛋白でも何でもエネルギーに変えられますから、飢えることはありませんが、脳はそうはいきません。やむを得ずに筋肉も肝臓も、蓄えたグリコーゲンを分解してブドウ糖に戻して殿様に送りますが、そのうち蓄えだって底をつきます。

結局、脳だけが飢餓状態となります。そうなるとさすがに脳も、脂肪の代謝産物をエネルギーに変えて、なんとかその場を凌ごうとします。そのような状況で、わがままなお殿様である脳が、まともに働いてくれるわけないでしょう。減量のために脳を犠牲にするなんて、ごめん蒙りたいですよね。

2015年11月15日 (日)

大便と腸内細菌の話 4

 腸内細菌叢のディスビオーシスが問題ならば、健常者の便中の腸内細菌を移植してやればいいじゃないか、という発想は容易に生まれます。実際に獣医領域では、馬の慢性下痢(げり)等に対して行われてきました。中国や欧米では、抗菌薬や輸液療法のなかった昔には、健常者の便中の腸内細菌移植が行われていたそうです。


健常者とはいえ、便中の腸内細菌を移植するという方法は、特に衛生観念の強い日本人にはなかなか受け入れ難い治療法ですよね。

しかし、抗菌薬では完治しない再発性難治性偽膜性腸炎患者に対して、健常者の便中の腸内細菌を移植すると、偽膜性腸炎の原因菌が除菌できたという報告が多数発表されています。問題は、便中の腸内細菌をどこからどうやって入れるのか。


それは胃内視鏡を用いて胃ないしは十二指腸に入れる、または注腸で大腸に直接入れるという方法です。まさか口から飲ませる訳にはいきませんから。


また肥満者は腸内細菌の多様性が減少していますが、この肥満者に対して、やせた健常者の便中腸内細菌を移植すると、肥満者のインスリン抵抗性が改善し、腸内細菌の多様性が回復するとの報告があります。ただこの治療法がもっとも期待される腸の炎症性疾患に対する有効性は、確立していません。有効であるという報告と、無効であるとする報告とがあります。

 プロバイオテックスとは、宿主(しゅくしゅ)に保健効果を示す生きた微生物、またはそれを含む食品をいいます。要するにヨーグルトなどの発酵乳のことです。ヨーグルトには整腸作用があることなどは以前から知られていましたが、他にも発がんリスクの軽減作用、アレルギー軽減作用、花粉症軽減作用、胃内ピロリ菌低減作用などがあります。


ただしプロバイオテックスには、胃酸などの上部消化管における消化液でも生存可能であり、消化下部に正着して増殖可能であり、腸内細菌叢のバランス改善、腸管内腐敗(ふはい)菌の低下などの有効効果があり、そして何よりも安全性が高いという条件に適した菌である必要があります。

大便と腸内細菌の話 3

 消化管内の細菌ですが、まず口腔内にも細菌が多数存在します。胃には胃酸が分泌されていますので、無菌という訳ではありませんが、細菌の数は激減します。十二指腸、空腸も同様に消化液が分泌されていますので、細菌数は多くありません。それが空腸、大腸になると細菌数が激増します。また腸管内の細菌は、各々がテリトリーを保ちながら集団を形成しています。この集団のことを腸内細菌叢(そう)ないしは腸内細菌フローラといいます。

叢は草むら、フローラはお花畑のことです。腸内細菌の集団とお花畑を結びつけるという発想はすごいですよね。なにせ、大便の半分以上は、この腸内細菌とその死骸ですからね。メルヘンというか、グロテスクというか……。ただ、腸内細菌フローラが形成されているおかげで、食物とともに病原菌が少々入っても、腸内細菌により排除されるのです。

 腸内細菌には、好気性菌(こうきせいきん)(生存のために酸素を必要とする菌で大腸菌など)、通性嫌気性菌(つうせいけんきせいきん)(酸素があってもなくとも生存できる菌で乳酸桿菌(にゅうさんかんきん)など)、偏性嫌気性菌(へんせいけんきせいきん)(酸素があると生存できない菌でビフィズス菌など)があります。とくに腸内細菌の中でも善玉菌として名高い乳酸桿菌は、酸素がある上部小腸でも生育可能で、糖を分解して乳酸を産生しますが、ビフィズス菌の方は酸素のあまりない大腸で生存し、酢酸と乳酸を産生します。

これに加えて下部消化管では食物繊維の嫌気性菌による発酵に伴い、他の短鎖脂肪酸も誘導される結果、大腸内は酸性に保たれます。この酸性環境下では、ウェルシュ菌などの腐敗菌(悪玉菌)の増殖が抑制されます。

 ヒトは母体内にいるときには無菌状態ですが、出生する瞬間に細菌の洗礼を受けることになります。生後直後から離乳期に至る時期に住み着いた腸内細菌は、我々が免疫システムを確立する上で、大変重要です。まずは大腸菌、腸球菌、ぶどう球菌などが増殖を開始し、その後乳酸桿菌やビフィズス菌が増殖を開始します。


乳児期には乳児型ビフィズス菌が優位となって腸内細菌フローラが安定するため、便は酸っぱい臭いがします。離乳期になるとビフィズス菌は成人型にかわり、腸内細菌フローラは成人に近づくようになります。これが中高年になると、ビフィズス菌が減少し、逆に腐敗菌であるウェルシュ菌が増加するため「お父さんのうんこした後のトイレは臭い」と娘達に嫌われる原因になります。

 私達の顔や姿、性格が十人十色であるように、腸内細菌もまた各個人に特有なパターンがあります。一卵性双生児は遺伝子的にはほぼ一緒であるため、顔も姿もそっくりですが、実は腸内細菌フローラは必ずしも一緒ではありません。腸内細菌フローラの場合、遺伝的関与は低く、生後直後から免疫の成立する離乳期までの環境因子が重要であることがわかっています。

 この腸内細菌をどのように調べるのでしょうか。現実問題として、数百種類にもおよぶ腸内細菌を、便培養で一つ一つ菌を同定するという方法には、限界があります。ところが最近、遺伝子解析法を用いて、腸内細菌叢(そう)の構成や機能が調べられるようになりました。その結果、腸内細菌叢の菌種構成、菌種数、菌数の異常(ディスビオーシス)が種々の疾患に関与していることが判明しました。

 潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)やクローン病などの腸の炎症性疾患では、健常者に比較して腸内細菌叢の多様性が低下しています。しかも健常者では腸内細菌叢に経時的変化はほとんどみられませんが、腸の炎症性疾患患者では、経時的変化が大きく、炎症が治まっている時と炎症が悪化している時とでは腸内細菌叢が異なることも知られています。

 肥満が伝染する、という衝撃的(しょうげきてき)な論文も発表されています。マウスの実験ですが、無菌マウスに対して、肥満マウスの腸内細菌を移植したグループと、やせ型マウスの腸内細菌を移植したグループと比較すると、肥満マウスの腸内細菌を移植したマウスの方が、体重は増加しました。つまり、デブとやせでは腸内細菌叢の構成が異なることを示しています。肥満以外にも、糖尿病、非アルコール性脂肪肝炎、動脈硬化、自己免疫疾患、脳神経疾患などでも腸内細菌叢のディスビオーシスが関与している可能性があります。

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