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健康法話

2024年2月 1日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十九回

 脳神経の第一番が嗅(きゅう)神経である。嗅神経は、他の脳神経と異なり、脳幹部も視床も通らず、直接大脳皮質である内嗅皮質にはいり、記憶を司る海馬(かいば)にアクセスしている。この知識を、今年息子と二人、レストランで食事をしている時に実感した。

 食事に合わせてグラスワインを飲んでいた時、ウェイトレスから「たまたま開栓した一九九八年物のボルドー、ポムロールがあるので、一杯ずつ飲んでみますか」という申し入れがあり、二人で飲む事ができた。喉の奥から広がるわずかな香りは、誤解を恐れずに言えば「堆肥(たいひ)になり始めている落ち葉のような香り」といった感じだった。味と風味を聞かれたので、失礼を省みず、あえて正直に言った。すると彼女は「それがまさしくブーケの香りだ」と教えてくださり、ブーケの香りについて色々教えて下さった。この時、これに近い香りのワインを以前に飲んだ事を思い出した。目の前にいる息子がまだ乳飲児であった三十年前、モンシャンミッシェルを見学した帰りに寄ったフランス料理店で、やはり同じように勧められて飲んだ一九七八年物のボルドーワインが、このような香りがした。日本酒や泡盛の古酒をイメージしていたのに、実際に飲んでみたら、ほんの少し「カビ臭い」感じがして、美味いとは思えなかった事を思い出したが、それをきっかけに、次々に、忘れかけていたあの時のフランスへの家族旅行のエピソードを思い出した。

 英国に住んでいた頃の話である。英国のプリマスからフェリーに乗り、フランスのシャーバーグに渡った。この時の船内放送で、英国人がいう「シャーバーグ」は、カトリーヌ・ドヌーブが演じた「シェルブールの雨傘」の「シェルブール」だとわかった。「どうせなら、シェルブールに泊まりたかったわ」と言う妻の声を尻目に車で船外に出た。ここでドクターミネは不覚にも「ラウンド・アバウト」を逆走するという大失態をした。英国は左側通行なので「ラウンド・アバウト」は時計回りだが、フランスは右側通行なので反時計回りと逆になる。この事は知っていたのだが、初めての右側通行という緊張感からか、英国と同じ方向に回ってしまい、冷や汗をかいた。

 出発前に、恩師のチャップマン教授から、美味しいフランスワインの選び方を習っていた。「フランスのスーパーマーケットは、大量のフランスワインが並んでいて、どれが安くて美味いか、ラベルなど見てもわからん。だからまずは、現地のフランス人がどのワインを選ぶか、しばらく観察しろ。そして多くの現地人が手にしたワインこそ、安くて美味いワインだ。」この方法は大変有効で、安くて美味しいワインを手に入れる事ができた。

 帰りはフランスの「ラ・ハーブ」という港町からフェリーが出るので、車で向かったが、道に迷い、何度か現地人に尋ねたが、そんな地名は知らないと言われた。そこで「シェルブール」の事を思い出し、地名のスペルを見せたところ「ル・アーブルなら、その道を真っ直ぐに行け」と言われた。「ラ・ハーブ」は、モネの生まれ故郷の「ル・アーブル」だったのか…。

「ル・アーブル」の港では、行きに一緒だった英国人夫婦達に再会した。そこで驚いたのは、英国プリマスで会った時には、ご婦人方は皆、「スッピン」だったのだが、ル・アーブルでは全員、しっかりと化粧をしているではないか。しかも、お互いに何を買ってきたか見せあったのだが、当然ワインを買ってきていると思っていたのに、彼らは大量の、車が沈むほどのフランスビールを購入していた。嬉しそうに、フランスのビールは格別美味いんだ、といった。「やっぱり英国人だ!」

この先、新型コロナウィルス感染症やくも膜下出血で嗅覚を失えば、酒の旨さがわからなくなるかも知れない。認知症になれば海馬が萎縮するので、引き出される記憶が失われるかも知れない。だからこそ、今この瞬間が愛おしい…。

2024年1月25日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十八回

 前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。

「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老い

 前回の令和四年正月号で予告したように、親子関連の続きの話をしようと思う。繰り返しになるが、親であるという自覚は、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされる。ケアとは、相手をお世話する、気遣いをするといった、一方向性の言葉であるが、ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益などをもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

親としての自覚や矜持は、我が子に対するケアリング体験がもたらす。この経験は消え去ることはないので、この体験によってもたらされた矜持は、時の経過とともに、重荷にかわっていく。以前の『遊行』で紹介したエピソードだが、ある英国人女性の言葉。

「私はマシュー(彼女の長男)のオムツを替えてやったわ。だって母親だから当然よね。でもどうして私が、マシューにオムツを替えてもらわなければならないの。それじゃ母親じゃなくなってしまう」親であるという自覚は、常にケアする側にいるからこそ生まれる。子供をケアすることで得られる幸福感こそがケアリング体験である。しかし年老いて、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。

息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。

父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。

、病でも発症すれば、いやが上にも、ケアされる側に回らざるを得なくなる。年老いても、ケアする側に居続けることで、かろうじて維持してきた親としての矜持は、徐々に、ないしは突然崩壊していく事になる。現役内科医であった時代、高齢の患者がしばしば口にした「子供たちに迷惑をかけたくない」という言葉が蘇る。今では自らもその高齢者の一員になり、一方で九十歳を超えた両親を抱えるという状況下で、その意味を噛み締めている。

息子である、娘であるという自覚もまた、親から受けたケアリング体験によって生まれる。特に幼少期にケアされた体験や記憶は、自分がケアする側になった時の、ケアの判断基準になるので、ケアされた体験は、後の人生にとって大きな意味を持つ。親ないし親に相当する人から充分にケアをされた経験を持つ人は、自分が親となったときに、自分が受けたケア体験に基づいて、自然に我が子をケアすることができる。一方、幼少時にケアされた経験に乏しい人は、ケアする側に回るとつまずく可能性がある。虐待の連鎖という、悲しい現実がある。親から虐待されてきた人は、自分が親になると、同じように我が子を虐待してしまう傾向があるという。また、兄弟間のケアの不平等さも、問題となる。例えば兄弟のうち一人が、病気のために体が弱い場合、親はどうしても、その子のケアに追われることになる。しかし事情がどうであれ、子供時代のケアにおいて差別を受けたという思いは、長じてもくすぶり続ける。ましてや、親が兄弟の一方だけを偏愛する場合はどうなるか。最悪の結果は、織田信長、伊達政宗、徳川家光といった歴史上の人物がとった行動をみればわかる。

父親、母親としての自覚も、息子、娘としての自覚も、ケアリング体験によってもたらされる。若い時分ならいざ知らず、今更それがわかったところで、あの時に戻ってやり直すことなど出来ない。儒教的な「親の恩」と言われると、腹立たしい思い出が蘇り、反発心が起こる人もいるだろう。しかし同時に、あの時、あの場面で、親父のとった行動に助けられた経験も蘇る。歩く事に疲れて、抱っこを求める我が子を、しょうがないなと言いながら、抱き上げたあの時の自分が蘇る。我が子の合格発表を共に喜んだあの時も決して消え去ってはいない。無常の流れを堰き止めることなどできないことは承知している。それでも息子としての責任は全うさせて欲しいと願う。父親としての矜持など一瞬のうちに吹き飛ぶ事も認識しているが、それでも今しばらく、父親として居させてほしいと祈るばかりである。

2024年1月18日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十七回

 前回の令和四年秋彼岸号では、夫婦関連の話をしたので、今回は二回に分けて、親子関連の話をしようと思う。そもそも親であるという自覚は、何から生まれるのか。ドクターミネは、子供をケアするという、ケアリング体験によってもたらされると考えている。

 ケアとは、お世話する、気遣いをすることである。特に看護領域では、患者のお世話、患者への思いやりという意味であり、看護師から患者へ施される一方向性の言葉として使われてきた。一方ケアリングは、ケアすることにより、ケアされる者ばかりではなく、ケアする者にも何らかの利益をもたらすという、両方向性の意味を持つ概念である。

 母親の場合、妊娠中から我が子のケアが始まる。そして最大の難事業は出産である。出産は昔から命懸けである。昨年の大河ドラマ「鎌倉殿13人」では取り上げられなかったが、源頼家の娘である竹御所(鞫子(きくこ)ないし媄子(よしこ))は、第四代鎌倉殿藤原頼経と結婚したが、出産のために三十三歳で亡くなっている。現代では医療の発達により、周産期死亡率(出産による死亡率)は激減したが、それでもゼロになった訳ではない。まさに艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて母親となる。一方父親はどうか。生まれてくるまでの間は、子供に対するケアはなく、もっぱら妊娠中の妻へのケアに全力投球する(このケアが不充分だと一生文句を言われる事になる)。つまり子供が産まれて初めて父親としてのケアが始まるのである。

 おっかなびっくり、抱き上げたり入浴させたりする。オムツ交換をする中で、乳だけを飲んでいるときの便と、離乳食が始まって以降の便では、臭いが異なることも、ケアの中で実感する。必死であやしても泣き止まず、右往左往しながら、結局子供を妻に渡すと泣き止むというときに味わう敗北感。初めて「パパ」と呼ばれて小躍りして喜んだ等々。昭和53年にヒットした歌「ANAK(息子)」の歌詞を思い出す。

「お前が生まれた時 父さん母さんたちは どんなに喜んだことだろう 私たちだけを 頼りにしている 寝顔のいじらしさ 一晩中 母さんはミルクをあたためたものさ 昼間は父さんが あきもせずあやしてた」

もう、こんな仕事なんかやってられるか、と愚痴りながら夜中に帰ってくる。それでも子供の寝顔を見たら、また明日から頑張るかと、拳を握りしめる。確かにケアは、ケアされる者のために行うのであるが、同時にケアする側にも幸福感や満足感をもたらす。ただ良いことばかりではない。この歌は次のように続く。

「お前は大きくなり 自由がほしいと言う 私達はとまどうばかり 日に日に気難しく 変わってゆくお前は 話を聞いてもくれない 親の心配見向きもせず お前はでてゆく」

オムツ交換や入浴介助など、直接的なケア行動が主体であった我が子も、成長に伴い、徐々に、間接的なケア行動の割合が増えていく。そして巣立ちのときを迎えてしまうと、直接的なケアといえるのは、たまに帰郷した時に、少々迷惑がられながらも、「食べきれないほどの料理」を用意してもてなすことぐらいになる。それでも親としては「心配する」という間接的なケアは残る。結局は、親として出来るのは、お前がどんな状況になろうとも、私達は最後まで味方だよ、と念じ続けるしかない事にも気付かされる。そういった全てのケアリングの体験が、自然に自らに「親としての自覚・矜持」をもたらしてきたのではないのか。

ただ、我が子の成長に従い、そして悲しい現実だが、親としての我が身の高齢化に伴い、結果としてケアの形態が変化していく。時として、親としての矜持が重荷にかわっていくが、この先の話は、めでたい正月にはあまりそぐわないので、次回、春彼岸号に回す事にする。

2024年1月11日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十六回

最近学生に、高齢者医療について「老いと向き合う」という題で講義をした。その中で、胃瘻(いろう)について説明した。胃瘻とは、経口摂取ができない患者に対して、外から直接胃に穴をあけて、チューブを設置し、そこから栄養のみならず、水、薬を投与する方法である。そもそも胃を含めた消化管は雑菌による感染に対して強いので、特別な滅菌処置は不要である。

しかも胃瘻自体が不要になれば、単に抜去するだけで、自然に塞がる。胃瘻は優れものだが、胃瘻によって生かされている姿を他人事として見ると、拒否感を持たれる方もいる。この胃瘻に関して、学生が書いたレポートの中に次のようなエピソードがあった。この学生の曽祖父は終末期において、病気の関係で経口摂食ができなくなり、胃瘻からの摂食をしていた。意識はしっかりしていたこともあり、妻(学生にとっては曽祖母)は毎食、夫の好きな物を細かく刻んで、あたかも口から食べさせるように、胃瘻から食べさせていたという。それを夫は満足そうに眺めていたそうである。

このエピソードを読んで、おそらくこの老夫婦と同年代と思われる、ある老夫婦のことを思い出した。老婦人が亡くなる1-2年前、夫が先にお浄土の人となった。しかし彼女はこの時入院中であり、葬儀に参列することができなかった。この老婦人が亡くなり、七七日(しじゅうくにち)忌に納骨したが、なぜか納骨に手間取っているようであった。納骨供養の後に、施主である息子さんに、なぜ手間取っていたのか、訳を尋ねたところ、笑いながら、こう言った。

「お袋は亡くなる直前、自分が死んだら、夫の骨壷と自分の骨壷が、離れ離れにならないように、縄で縛ってほしい、と言うのです。これがお袋の遺言ですから、親父とお袋の骨壷同士を一緒に縛っていたので、時間がかかりました」

ドクターミネは、涙が出るほど感激して、帰宅したら、真っ先に妻にこの話をしようと思った。しかし実際に妻の顔を見たら、ちょっと待てよと思い、口をつぐんだ。世の常として、男性である私が先にお浄土に行き、妻を待つことになるであろう。そして妻が臨終に際し、この老婦人のように、離れ離れにならぬように、骨壷同士を縛ってほしいと、遺言してくれれば、万々歳である。阿弥陀如来の後に従って、胸を張ってお迎えに行くことができる。しかし、例えば

「死んでからも、あの人とくっつきたくないから、骨壷同士をできるだけ離して頂戴!」とか

「死んでまであの人と一緒にいたくないから、別のお墓に私の骨壷を入れて頂戴!」

なんて言われてごらんなさいよ。阿弥陀如来に

「おい、お前の妻をそろそろ迎えに行くぞ」

とお誘いいただいても、どの面下げて迎えに行けばいいんだよ、という事になる。この感動話も、迂闊(うかつ)には話ができないぞ、と思い、つくづく、夫婦のあり方について考えされられた。最後に、宗祖一遍上人のお言葉で締めさせていただく。

それ、生死(しょうじ)本源(ほんげん)の形は男女和合(なんにょわごう)の一念。流浪(るろう)三界(さんがい)の相は愛染(あいぜん)妄境(もうきょう)

迷情(めいじょう)なり。男女かたち破れ、妄境おのづから滅しなば、生死

(もと)無にして、迷情ここに尽きぬべし。

(現代語訳:生死輪廻(りんね)する本源は、男女和合の一念である。三界を流浪するのは、愛欲に執着した迷いの心を持っているからである。男女の形が破れると、誤った心が自然に消えるので、生と死は本来実体の無い、仮の姿であると気づき、迷いの心は消えるであろう。現代語訳は、『一遍上人縁起絵』現代語訳研究会編より)

2022年6月13日 (月)

新型コロナウイルス感染症を診療して感じること

令和4年5月28日 一向寺大施餓鬼法要 法話資料

厚生総合病院
 内科 副院長 井上 卓(たかし)氏

新型コロナウイルス感染症を診療して感じること


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※公開の許諾を得ております。

2022年6月12日 (日)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十五回

 コロナ禍のための外出自粛で、寺坊にこもる時間が多くなったことを利用して、二年掛で、難解で知られる西田幾多郎(にしだきたろう)先生の哲学を、小坂国継(こさかくにつぐ)先生の解説を頼りに格闘した。西田先生は、宗教の問題は我々が、自己矛盾的存在であることを自覚した時、我々の「自己存在そのものが問題」となる時に生じるのだという。そして自己存在の根本的な自己矛盾の事実は「死の自覚」にあるともいう。つまり宗教の問題は、価値の問題でもなく、より良く生きるため、というのはあくまで二次的な問題だという。死を前にして、自己存在が否応なく揺れ動くことによって生じる苦しみをスピリチュアルペインという。この苦しみについては、八年前の平成二十六年『遊行』お盆号から平成二十七年『遊行』お盆号まで「ドクター・ミネの毒舌健康法話」で説明した。例えば、仕事人間だった方が、自分の仕事を人に認めてもらうことに、生きがいを感じていたのに、死を目前にして、人生を振り返った時、自己矛盾的に、

「今までの俺の人生は、全く意味がなかったのではないか」

といった嘆きが生じる。これがスピリチュアルペインである。

 
 スピリチュアルペインは、終末期の癌患者が入院する、緩和ケア病棟でしばしば問題となるが、何も緩和ケア領域だけで起こるわけではない。特に介護が必要となった高齢者は、スピリチュアルペインの塊だともいわれている。ドクター・ミネも高齢者の一員となり、当然コロナワクチンも「高齢者枠」で接種を受けた。ただ、同じ終末期医療でも、老年期前の癌患者と、高齢者の場合とでは、特にスピリチュアルペインが少々異なるように思える。

 現役の内科医であった時代、ある高齢者から聞いた言葉である。

「先生は若いから、新聞は一面から読むでしょう。でも私たちの世代になると、新聞はまず「お悔やみ欄」から読みます。知っている名前がないと、ホッとします」

どうやら高齢になる程、死が身近な出来事に感じられるようである。また、当時七十代後半であった、戦争体験者の患者の話である。

「私は昔、零戦に乗っていました。出撃していくと、必ず何機か撃墜されました。自分一人が生還したこともありました。戦艦大和の最後の出撃も、飛行機の中から見送りました。この次の出撃では、死ぬのは俺だと思って、いつも出撃していました。でも、死ぬのが怖いと思ったことは、一度もありませんでした。それがこの年になって、先生の外来に通うようになって、正直、死ぬのが怖いのです」

また、当時八十代であった女性は、ちょっと咳が出ると、肺癌になったのではないか、ちょっと頭痛がすると、脳腫瘍になったのではないかと、しょっちゅう外来受診していた。検査をしても異常はない。いわゆる「癌ノイローゼ」である。ある時、その老婦人はこんなことをいった。

「娘時代、東京大空襲を経験しました。まさに火焔(かえん)地獄でした。隅田川には、大勢の焼死体がありました。若いお母さんが、せめて子供だけは助けようと、隅田川の中で、必死で子供を持ち上げて、その状態で子供共々焼け死んでいました。自分がどうして生き残ったのかわかりません。でもあの頃は、死ぬのが全く怖くなかった。80を過ぎて、この年になって、十分生きたはずなのに、死ぬのが恐ろしいのです」

どうやら、高齢になると、死に対する恐怖感は増すようである。

 サクセスフルエージングだの、アンチエージングなどという、老化に対抗するための宣伝が巷に溢れている。確かに老化に対する研究が進んでいることも事実である。一方で、老年的超越、つまり老いに逆らわず、ありのままを受け入れ、自然に任せるという方法、つまり仏教でいう「自然法爾」という老いの受け止め方もある。

2022年6月11日 (土)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十四回

 この原稿を令和4年1月に書いている。新型コロナウィルス・オミクロン株の大流行で、1都18県にまん延防止等重点措置が発令され、8道府県も追加発令が検討されている。三回目のワクチン接種の前倒し、そして医療崩壊や保健所崩壊を防ぐための方策も検討されている。しかし国民は、恐怖感があるにせよ、以前ほど慌てなくなったように思える。「慣れ」により鈍感になるのは心配だが、手探りであるにせよ、「コロナと共に」生活するという生活スタイルが今後、より一層加速、定着していくことであろう。

 さて、今回の話は、師匠のH教授(愛称おっさん)から聞いた、患者のエピソーである。ある高齢の大先生が入院されたが、病気は良くなったのに、一向に元気が出ないという状況が続いていた。そこで、当時話題を集めていた「音楽療法」を試みることになった。この大先生はクラシック音楽に大変造詣の深い方だったので、代表的なクラシック音楽を聴かせたのだが、一向に改善しない。ある時たまたま「演歌」を聴かせてみたら、段々と元気が出てきたというのである。一方、あるご老僧の、本葬のお手伝いに行った時のことである。何故かモーツアルトのレクイエムが流されていた。その理由を喪主の僧侶に尋ねたところ、ご老僧はモーツアルトが大好きだったから、との事であった。失礼ながら、生前中のイメージとは、大分かけ離れていたので、大変驚いた。

 音楽というのは、その曲を聴くと、過去の「あの時に、あの場所で、あの人と」が蘇るという不思議な魔力を持っているように思う。ドクターミネは、アダモの「雪が降る」を聴くと、浪人時代、同級生の下宿で、一緒に、最後の追い込み勉強をしていた頃を思い出す。また山口百恵さんの「いい日旅立ち」を聴くと、妻と初めて出会った時のことを思い出す。たまたま二人が乗ったタクシーでかかっていた曲である。

 また歌の場合、その歌詞が心に響くこともある。ドクターミネは高校生時代に聴いたグレープの「精霊流し」の歌詞に

「あなたの愛した母さんの 今夜の着物は浅葱色」

とある。浅葱色が、かつて武士の喪服の色であったことを、あの時学び、この歌の持つ意味を知った。杉田二郎さんの「ANAK息子」の歌詞は、思春期の子供を持つ親となった時に、深く心に響いた。また三波春夫さんのデビュー曲「チャンチキおけさ」の三番の歌詞には

「故郷を出る時 持って来た 大きな夢を盃に そっと浮かべて もらすため息 チャンチキおけさ」

とある。ドクターミネはかつて、「俺は一流研究者となって一旗揚げるんだ」という、途方もない夢を追いかけて、女房子供を抱えて、故郷を離れた。師匠(おっさん)の、「みねちゃんは、研究には向いていないと思うよ」という言葉を振り切るように、飛び出していった。結果「チャンチキおけさ」の三番の歌詞通りになった。師匠のおっしゃる通りであった。今でもこの歌を口ずさむと、もがき苦しんだ、あの頃のことを思い出すが、しかし今では、何故か懐かしくも思える。

 地元の葬儀屋さんで執り行われる通夜、葬儀では、バックグラウンドミュージックとして、エレクトーンの演奏がある。一般的には、お浄土へ送り出す、という思いが伝わるような選曲がなされているようだが、時に、あまり、場にそぐわないように感じられる、意外な曲を演奏されることもある。それは大概、故人が生前中好きだった曲である。ドクターミネは気が滅入ると、自分を奮い立たせるために、一人車の中で、大声で演歌を歌っている。確かに好きな曲ではあるが、葬儀のバックグラウンドミュージックとしては…。

 

2021年12月31日 (金)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十三回(令和4年正月)

 この原稿を令和3年10月に書いている。新型コロナウィルスに対するワクチン接種率も国民の70%に達し、長かった緊急事態宣言がようやく解除となった。未だ医療逼迫が続いていることもあり、手探りではあるが、少しずつ元の生活に戻りつつある。だが、これからが正念場であろう。経済立て直しが必要だろうし、国家財政もこのコロナ禍で赤字が膨らんでいる。コロナ禍のオリンピック・パラリンピックは無観客での開催であったので、オリンピック関連の借金も相当なものに違いない。一国民として、これからの国家の動向に注意を払いながらも、自分の生活を維持するために、眼前の問題を一つ一つ解決していかなければならないであろう。

コロナ禍の時代だからこそ、令和3年の『遊行』では、ドクターミネの研修医時代の師匠であるH教授(愛称おっさん)の訓戒を、二回にわたって紹介した。医学という自然科学の領域では、確かにロジック(論理)は重要である。例えば、予防の第一はマスク着用であるが、そもそもコロナウィルスの大きさは100nm、つまり一ミリメートルの一万分の一である。当然マスクの繊維の網目を楽々通り抜けることが可能な大きさである。大昔から風邪やインフルエンザといったウィルス感染予防にマスクが使用されてきたが、論理的に考えれば、本当に有効なのかが問題である。インフルエンザよりはるかに毒性も感染力も強力なコロナ対策のために、マスクが有用であるか否かを、科学的に証明するためには、まずは誰もが納得できる論理に基づいた実験デザインが必要であり、得られた結果も論理的に解釈する必要がある。現在では、論理に基づいた動物実験及びボランティアの医療従事者による臨床実験によって、マスクの有用性が証明されたために、それらを論拠として、世界中でマスク着用が推奨されているのである。

ただ、実際の医療現場では、患者とその家族に対して、証明された医学的事実に基づいて、論理的に説明するだけで、全て納得してもらえる訳ではない。いくら論理的に説明しても、感情が入ると、中々納得してもらえないこともある。そもそも脳は、論理的思考を司る領域と、感情を司る領域とは異なるのであるから、双方は連絡があるにしても、やむを得ないとも言える。これが、哲学の領域では「自然主義的誤謬(しぜんしゅぎてきごびゅう)」と言われるものだと、後に知った。情緒的な問題、倫理的な問題と、自然科学的な事実とは本来次元が異なるが、これを同一視することによって生じる誤りである。例えば、コロナに対するワクチン効果が科学的に証明されてきているが、これらの事実をもって、「だからワクチン接種を受けるべきである」といった倫理的結論を導き出せない、ということである。「でも私は受けたくない」というのは感情の問題であるから、いくら科学的根拠を示されたところで、中々翻意(ほんい)してくれないのはそのためである。「ワクチン接種を拒否する権利がある」と主張する人さえ世界中にはいると聞く。

 人間とは不思議なもので、理路整然とした論理で説明されても、必ずしも納得できないことがある。反論できないが、どことなく「胡散(うさん)臭い」という感情が残る場合がある。「納得」というのは、理性と感情の、両面があるともいえる。論理の展開に重要なのがIQ(知能指数)ならば、感情に訴えかける上で重要なのがEQ(心の知能指数)である。EQの高い人は、リーダーとして人をまとめることに長けているし、説得能力も高い。

 いずれにしても我々人間界は、言葉によりお互いが理解し合う世界、といえるであろう。以心伝心というぐらいだから、仏の世界はそもそも言葉を必要としない世界かもしれない。それでは「地獄」とは、言語道断、問答無用の世界ということか。

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十二回(令和3年秋彼岸)

 新型コロナウィルス感染症大流行の中、今年の『遊行』正月号で、ドクターミネの研修医時代の師匠であるH教授(愛称おっさん)の訓戒を紹介した。7月にその師匠から暑中見舞いをいただいたので、改めて師匠の「おっさん」の訓戒を思い出した。

「治療に関するポリシー(方針)を示せ。ロジック(論理)を示せ。例えば、血圧が低下した理由は○○だと判断して、昇圧剤を投与しました、といった程度のロジックでもいい。ロジックを示せば、そのロジックの展開に誤りがあれば、誤りを正してやることができる。しかし単に、血圧が下がったから昇圧剤を投与しました、と答える馬鹿者に、私は何を教えればいいのか。」

 この訓戒の重要さを、後々嫌だという程実感する場面に遭遇した。

ようやくワクチン接種が軌道に乗り始めたというのに、その足を引っ張るような、デマ情報を流す輩がいる。情報の「匿名性」の最大の問題点と言える。例えば、ワクチン接種によってコロナに感染するという情報は誤りである。mRNAワクチン(ファイザー製、モデルナ製)にしても、ウィルスベクターワクチン(アストラゼネカ製)にしても、コロナウィルス自体を接種する訳ではないので、ワクチンでコロナに感染することはあり得ない。「コロナワクチン接種が原因でコロナに感染することはあり得ない」と断じることができるのは、医学的論拠が無いからである。「おっさん」の口癖だった、ロジックの展開には、必ずその論拠、つまり「なぜそうなのか」という理由が必要である。論拠(理由)が明らかでない情報は、デマ情報だと考えて良い。「人からこう聞いた」とか「ネットで皆がこう言っている」的なものは論拠にはならず、あてにならない。信じて良い情報か否かを自分で判断できなければ、主治医の先生に尋ねるのが最良の方法であろう。

ただワクチン接種の場合、副反応は体験できても、その効果は実感しにくい、という問題点がある。ドクターミネは二回目接種の一日後、接種部位の痛みとだるさを感じた。現在コロナに感染していないが、それは、ワクチンのおかげで感染していないのか、それともたまたま感染の機会が無かっただけなのかがわからない、ということである。この、副反応は体験できても、その効果は実感しにくい、という問題が、ワクチン接種を躊躇する人達を生み出す事になる。カーネマンらが提唱した「プロスペクト理論」は、同じ程度の利益と損失では、損失の方を重く受け止める、という理論だ。ワクチン接種による利益(感染予防)と損失(副反応)では、常識的には利益が圧倒的に大きいにもかかわらず、ごくごく稀におこる重大な損失(副反応)に怯えて「ワクチン接種をしない」人も結構いると聞く。しかも、ひとは経験したことのないような危険や脅威を過小評価するという正常性バイアスも働く。テレビ報道で、感染者数がこれ程増加したと大騒ぎしても、周囲に感染者がいなければ危機感がわかず、「どうせワクチン接種しなくても、私は感染しないだろう」と思ってしまうのである。しかし現在大流行しているデルタ株の新型コロナウィルスは、感染力も毒性も、以前の株に比べて強くなっている。もし感染して発症すれば、命の危険に晒されるのは自分だけではない。たとえ命をとりとめても、高率で後遺症に悩む事になる。

 最後に、九十歳になる師匠「おっさん」からの手紙を紹介する。

「繰り返す新型コロナ感染拡大も第五波となり、仲々科学的対策が進展しない混迷に、無責任な指導者達と倫理のない社会を感じています。お笑い中心のメディアも、眞面目なリベラルアーツを或いはクラシックの本質を駆逐して、義務教育の本質を教育していない結果と思はれます。先生のような宗教家の活躍が期待されます」

師匠、不肖の弟子に大それた期待をかけていただいても…。

2018年3月14日 (水)

終末期医療について(4)

ドクターミネの毒舌健康法話
 前回は胃瘻(いろう)、人工呼吸器について説明しました。他人事としては、延命治療によって生かされている人をみると、自分はこんな状態になってまで生きていたくない、と感じるので、八割の人が延命治療を望まないと回答しています。しかし実際の場合、脳卒中や認知症で寝たきり状態になった本人は、意思表示できませんから、特に胃瘻を作るか否か、家族がその決断を迫られます。確かに胃瘻を作らなければ、月単位、年単位の寿命を縮める可能性があります。しかし胃瘻をつくっても麻痺(まひ)や認知症は改善しません。つまり寝たきりの状態で寿命だけが延びるということです。
 家族が悩み抜いた末に、胃瘻をつくらないという方針を固めたとしても、普段は病院に見舞いに来ないような親族がやってきて、無責任な正義感を振り回して「お前達はこいつを見殺しにするのか」といわれると、決断がにぶります。こういう無責任な正義感を振り回す輩(やから)にかぎって大変な介護を手伝うわけでもなく、口だけ出すのです。世の中には、自分が実際に手を汚す必要がなければ、大声で、無責任な正義感をふりかざす輩がいるのも現実です。アンパンマンの作者、やなせたかしさんの言葉を思い出します。
「正義とは何か。傷つくことなしには正義は行えない」
 一方胃瘻を造らないという決断は、自然死を自宅で迎えることを意味します。病院は本来治療をするべき場所ですから、ただ自然死を待つだけの患者を入院させておくことはできません。退院して、もし一日一本程度の点滴を望まれるのであれば、自宅で往診医に頼むことになります。第二回目でお話ししたように、二〇三〇年には三人に一人が六十五歳以上の高齢者となりますので、入院ベッドが圧倒的に不足します。ですから、特に今後は、自然死を望むということは「自宅での死」を念頭に置いたうえで、準備を進める必要があります。
 私達は、死ぬという体験ができません。私達に可能な死の体験は、いつも「死なれる」という体験だけです。死なれるという体験を通して、自らの死を考えるのです。しかも死に方を、選ぶことができません。末期癌で死ぬかもしれないし、脳卒中や認知症で寝たきりになって死ぬかもしれない。案外ポックリ死ぬかもしれない。
 ドクターミネの健康法話をお読みくださる方々は皆、今までずっと一所懸命(いっしょけんめい)に生き、そして自分の責任を果たしてこられたことでしょう。そして一所懸命に生きた先に、終末期がやってきます。ですから、どのような状態になろうとも生き切る。言い換えれば、その死に様を、死んでいく「ありのままの姿」を次の世代に見せるというのが、最後の最後に残された役目のように思います。後に残る次の世代の方々に、人はこうやって死んでいくものだという現実を見せることで、死を学ばせる。これが人生最後の仕事だと思います。脳卒中や認知症で家族に迷惑を掛けるかもしれない。癌による闘病生活で、家族に苦労をかけるかもしれない。でも、それが死ぬという現実です。
アンケートでは八割の人が延命治療を望まないと答えていますが、答えている人のほとんどは他人事です。実際に自分の連れ合いや親、時には子供がそういう状況になって、その選択を迫られたら、大変悩みながら決断することになりますです。死に方を選択できないのであれば、どのような死に方になろうとも、念仏を称えて受け入れる。念仏は、よりよい死を迎えるためのものではありませんが、結果として、どのような死に方になろうとも、念仏を称えてすべてを受け入れる。お迎えが来るまで、どんな事があろうともとにかく生き抜いて、その死んでいく姿を次の世代に見せる。これが私達のするべき最後の仕事だと心得ています。

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