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ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話

2021年6月13日 (日)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十一回(令和3年お盆)

 思い返すと、昨年4月に新型コロナウィルス感染症のため緊急事態宣言が出される事態となった。この未曾有の出来事に、日本中が揺れたが、未だに終息されていない。延期された東京オリンピック開催がどうなるのか、心配しながら、これを執筆している。

 その影響を受けて、昨年五月の当山大施餓鬼法要は、従来の法話は中止して、檀家様方には本堂内ではなく、境内にて法要にご参加いただいた。十一月の開山忌法要では、境内で法要にご参加いただいた檀家様方に、法要前、新型コロナウィルス感染症についてお話をした。コロナウィルスはインフルエンザ同様RNAウィルスであり、変異しやすいため、その変異型が感染力の強い方向に変異する可能性が高いことを指摘した。この「不安」は、残念ながら的中した。一方で人類は、ウィルス感染症の対策として、種痘以来、ワクチン接種で対抗してきた。ワクチンが完成して、ワクチン接種が始まれば、終息の方向に使うはずだ、という「希望」も話したが、現在着々とワクチン接種が始まっている。ただ、通常ワクチン開発には十年かかると言われているのを、わずか一、二年で市場に出すためには、有効性と副反応のチェック期間を削るしかない、という問題点も指摘したが、この「不安」だけは完全には払拭されていない。それを承知の上で、ドクターミネは六十五歳以上の高齢者枠で、ワクチン予約した。そして今年五月の当山大施餓鬼法要の法話では、「不安」「希望」という感情について話をした。この法話の内容は、一向寺ホームページに公開する予定である。

 コロナ自粛で寺坊にいる時間が増えたため、勉強の時間は確実に増えた。次男が生命科学の勉強をしていた事もあり、改めて遺伝子などの基礎医学の勉強を始めた。また今まで「積読」状態にあった書物も読み出した。かつて大学院生時代、実際の研究に役立つとも思えないようなシステム理論について、N教授からマンツーマンで習い、また電子軌道や量子論の初歩をI先生から習った。この時必死でまとめたノートは、もう必要ないだろうと思って、昨年実行した断捨離で全て処分した。それが今になって、もう一度勉強してみたくなった。

 ドクターミネが私淑(ししゅく)する医師に、岡部健(おかべたけし)先生がいる。本人にお会いした時、隣町の栃木県小山市出身だとおっしゃっていた。末期癌患者を在宅で看取るという、在宅緩和ケアのパイオニアである。その岡部先生自身が胃癌となり、母校の東北大学で手術を受けて療養中、あの東日本大震災に被災された。緩和ケアには、日本的死生観を心得た宗教者が必要である、との実感を、自らが臨床教授をしていた東北大学に、臨床宗教師養成講座という形にされた。臨床宗教師という言葉も先生自身の発案だときいている。その先生は、ご自身が築き上げた在宅ケアグループ「爽秋会(そうしゅうかい)」のメンバー、その一人でもある臨床宗教師第一期生の髙橋悦堂師、そしてご家族の方々に見守られながら、二〇一二年九月二十七日、六十二歳の生涯を閉じられた。そのわずか六日前に、先生自身が望まれた相手、カール・ベッカー氏との対談記録が同年の『文藝春秋』十二月号に掲載された。ベッカー氏が「ところで、身体の具合はいかがですか?」という質問に対して先生は

「順番に欲望が取っ払われていくんだな。まずは性欲がなくなって、それから物欲。さらに食欲が衰えて、最後まで残っていたのが知識欲。今は本読む力がないから、テレビで放送大学を見てるよ。」

と答えた先生に対してベッカー氏が「どんな講座を?」という問いかけに

「経済学。今俺が勉強してどうするんだと思いながら見てるよ。」

最後に残るのが知識欲だという先生のご遺言を、先生の享年を過ぎたドクターミネは、深く受け止めている。最後の最後まで残る知識欲は、案外、実務とかけ離れた領域の知識欲なのかも知れない。

2021年1月27日 (水)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第十回

 最近では、夢を見るのを楽しみに、眠りについている。年のせいか、懐かしい人が、夢の中にしばしば現れる。しかも、出逢った時の、あの頃のままで登場するのも嬉しい。そんな時にはしばらくの間、布団の中で余韻をたのしむ。一方、嫌な奴が現れたら、とっとと忘れて、次の夢に期待して、もう一度目をつぶる。

夢といえば、夢判断を用いて精神分析をした、オーストリア出身の精神科医ジークムント・フロイト(一八五六―一九三九)を思い出す。彼の言葉に、

「夢は現実の投影であって、現実は夢の投影である」

とあるように、夢には無意識の領域に蓄積された記憶が反映されるという。すべてではないにしても、確かに、肯首出来る夢もある。

ただ、これを執筆し始めた一月七日には、東京、神奈川、埼玉、千葉の一都三県に緊急事態宣言が発令された。大阪、京都、兵庫も政府に要請中であるという。かつての同僚や後輩医師方が、必死で新型コロナウィルス感染症と戦っている最中、惰眠(だみん)を貪っている我が身を省みて、忸怩(じくじ)たる思いを払拭(ふっしょく)することはできない。

 睡眠は、自分の心の状態の、バロメーターになる。抑うつ的になれば不眠、早朝覚醒(そうちょうかくせい)が生じ、逆に気力が出ずに、寝てばかり、ということにもなる。ドクターミネが勤務医であった最後の二―三年は、猛烈に忙しかった。その要因は、新病院への引越しと機能拡大に加えて、新研修医制度に移行するために、地方の中核病院では急激に医師不足となり、開店休業状態の病院が続出し、辛うじて医師を確保できていた、勤務先の病院に患者が集中した事であった。過労は精神を徐々に蝕んでいく。楽しみの晩酌では、徐々に酒量が増加していった。眠りについても、すぐに目覚めてしまい、その後は眠れず、悶々としながら、起床時間を迎えた。それが早朝覚醒であることに、しばらくの間、気づかなかった。抑うつ的になると、身体症状が現れるが、これも知識としては知っていたが、我が身に起こるとは思ってもいなかった。そして遂に、同年齢の友人であるH医師が体調を崩して退職する事になった。退職届を提出した日、医局で顔を合わせたが、彼はこう言った。

「ミネちゃん。ミネちゃんも頑張りすぎると、俺みたいになるぞ」

 過労による疲弊(ひへい)は、人間を精神的に追い詰め、心が抑うつ的となる。ここで気づいて手を打つことができれば回復は容易だが、放置すれば、うつ病を発症する。うつ病を発症してしまうと、完全に回復するには大変な時間を要する。しかもうつ病は、時として人を自死にまで追い詰める。医療体制も同じである。この新型コロナウィルス感染症で、医療現場は疲弊し、悲鳴を上げている。現時点では、辛うじてギリギリ持ち堪えているにしても、この先、有効な策を講じることができなければ、医療崩壊が確実に起こる。一度崩壊が始まると、ドミノ倒しの如く、次々と崩壊が連鎖する。一度崩壊してしまうと、もう一度立て直すことは、極めて困難になる。

 わかってはいるが、今のドクターミネができることといったら、悲しいかな、毎朝の勤行で、医療現場が疲弊して燃え尽きないように祈ることと、自分が新型コロナに感染して、医療現場の方々に御迷惑をかけないように、感染予防に細心の注意を払うことしかない。

 それにしても、友人のH医師には、あの日別れて以来、一度も会っていない。どうしているのであろうか。鈴木雅之氏の歌の一節を思い出した。

「夢でもし逢えたら 素敵なことね」

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第九回

 昨年は、新型コロナウィルス感染症に振り回された。この感染症に関して、専門家と呼ばれる人達の、色々な意見を聴いていて、ふと師匠の言葉が(よみがえ)った。

 ドクターミネの研修医時代の師匠であるH教授は、威厳があり、大変厳しかった。まさに「雷親父」であった。そんな厳しいH教授に対して我々医局員は内々で、畏敬の念をこめて「おやっさん」を縮めた「おっさん」という愛称で呼んでいた。当時の研修先大学病院にはその道の大家と呼ばれる有名教授が結構いて、師匠の「おっさん」もその一人であった。

 受持患者が専門外の病気をもっている場合、その専門領域の医師に診察を依頼してご意見を仰ぐ。ある時ドクターミネが、受持患者の診察依頼を出して、診察して下さったのが有名なM教授であった。そこでM教授のお見立てに従い、治療したことを、教授回診で胸を張って発表したところ、師匠の「おっさん」から、「お前は、いつからMさんの使い走りになったのだ」と烈火の如く怒鳴られた。大家のM教授のお見立て以上のものが、どこを探せば出てくるというのか。その時は、まったく理不尽なことで怒鳴られたと思った。

 後日、病院の職員食堂で、一緒に昼食を食べる機会があった。師匠の「おっさん」はとても機嫌が良さそうだったので、あの時何故叱られたのかを、おそるおそる質問した。すると「おっさん」は

「大家と呼ばれるような専門家でも、常に正しい判断をするとは限らない。またその判断が正しくとも、受持患者にとってその治療が、本当に今、必要かどうかは別問題である。自分のわからないことを専門家に尋ねるのは重要だが、専門家の言うことだから、偉い先生の言うことだからといって鵜呑みにするのが一番駄目だ。診察結果をみたらまず、自分で考えろ。わからなければ調べ、疑問があれば、何度でも問い直せ。その上で、自分が本当に納得できたら、自分の意志でその治療を行え。それが主治医の責務である」

 後年ドクターミネが指導医になった時、師匠の「おっさん」のこの言葉を、牛の反芻(はんすう)の如く、思い出しては(か)みしめた。

 コロナ対策のために、マスク着用、三密を避ける、手洗いが推奨されている。そもそもウィルスは、その大きさを考えれば、マスクの繊維間の隙間を素通りできるが、最近動物実験で、コロナウィルスの拡散に、マスクがある程度効果がある、との結果が得られた。集団発生した事例を、飛沫(ひまつ)感染の面から検討した結果、密閉・密集・密接という共通項が見つかった。また、接触感染予防には昔から手洗いが推奨されてきた。しかしこれらは、臨床研究に基づいて、その有効性が確かめられた訳では無い。

 ここにきてワクチン問題が出てきた。世界中で、特に米中が競争でワクチン開発に乗り出している。天然痘(てんねんとう)のように、予防接種で病気自体を完全に制圧できればいいが、よく対比されるインフルエンザの予防接種の効果と同程度であれば、完全に予防することはできない。ましてやワクチンには重大な副作用がついてまわる。通常ワクチン開発には十年かかると言われているが、今年中にワクチンが完成するとの報道もある。だからこそ、ワクチンを受けるか否かは、師匠の「おっさん」がいうように、まずは自分で充分考える必要があるが、そのためには相当の基礎知識が必要になる。よく「私は専門家ではないからわからない」という人がいるが、自分の一大事に関し、その言い訳を誰に向かってするのか、ということになる。結局、信用できる誰かに相談した上で決断するしかない。テレビに出てくる専門家は言い放しで責任がない。それを考えると、「かかりつけ医」の先生に相談するのがベストであろう。それをもとに自分で考え、自分の意志でワクチンを接種するか否かを判断するしかない。

2020年7月22日 (水)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第八回

 令和二年七月にこの原稿を書いている。新型コロナウィルス感染症は終息どころか、東京ではまだ二百人以上の新規感染者が出ている。不要不急の外出を控える「巣ごもり」を勧められているが、ドクターミネも現役医師の足を引っぱらないように「巣ごもり」実行中である。自宅にいても「リモートワーク」で働かなければならない現役世代ならいざ知らず、引退世代であるドクターミネにとっての「巣ごもり」は、まさに「断捨離」「大掃除」の一大チャンスである。「捨てる」という決断は「思い出を断ち切る」という意味でもある。医学生・研修医時代に愛用した本は思い出一杯だが、今となっては実用的な価値はない。ましてや内科医を引退した身であればなおさらである。しかしそれでも「捨てる」となれば、思い切りがいる。また、一度も開いていない本や、かつて趣味で収集した品々などを、処分をするか否かという問題にも直面する。「今まで一度も読んでいない本なんか、将来読むことなんて絶対にないわよ」と妻に言われれば、なおさら捨てられなくなる。そんな思いと格闘しながら、まずは「捨ててもよい物」と「絶対に捨ててはならない物」とを仕分けし、即決できない物はしばらく手元に置き、スペースの様子を見ながら最終決断をするようにした。本は町内の「資源ゴミ」収集場所にもっていった。考える事はみな同じようで、五月の連休あけには、収集場所が大量の本であふれかえっていた。

 

 大掃除は、お宝発見の場でもある。庫裡の大掃除で、祖父が大事にしていた写真を二枚発見した。その一枚は、大正九年十二月二十八日に一向寺第三十四世住職となった、当時満二十一歳の祖父峯崎孝亮の晋山式の写真である。祖父の向かって右隣には曾祖父の孝純が、祖父の向かって左上には曾祖母のスミが写っていた。そしてもう一枚の写真は、明治十五年に時宗一向派大本山八葉山蓮華寺の法主となった、高祖父峯崎成純であった。現在は、どちらもスキャナーで取り込んで拡大し、本堂に掛けている。高祖父が、法主となって滋賀に旅立つ記念に写したもののようだ。拡大してみるとその口元は、歯周囲炎のために前歯を失っていたと思われる写真であった…。

 

 話は少しそれるが、我が家の二頭の犬は、口にくわえると「ピコピコ」という音がする玩具が大好きである。二頭が競争で奪い合う。なぜこんな物が好きなのか、不思議でならなかった。大掃除をしていて、同じような「不思議さ」を、かつての自分に感じた。あの頃の私は、どうしてこのような物にこだわり、収集したのだろうか。結局一度も開かなかったこの本を、どうしてあの頃は、購入しようと思ったのだろうか。確かにあの頃は、それを手にしたときには嬉しかったはずなのだが。これは結局、私という存在が無常である、という証拠なのであろう。仏教で言う無常とは、日本人が大好きな無常観、つまり『平家物語』の冒頭にある、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」とは、少々異なる。すべてのものは、そのまま同じ状態で存在し続けることはできない、ということである。「パパ大好き」といって頬にキスをしてくれた娘が、いつの間にか「親父、うざい」と言うようになる。あの頃の私があれほど欲しくてたまらなかった物が、今ではどうでもいいような物にみえる。これが無常である。かつての患者の言葉を思い出す。

 

「私は戦時中、偵察機に乗っていました。戦艦大和の最後の出撃も、機上から見送りました。あの頃は出撃すると、必ず何機かは打ち落とされていたので、出撃する時はいつも、今度こそ俺が戦死する番だ、と思って飛び立ちました。でも不思議と一度も、死ぬのが怖いと思った事がありませんでした。でも今、七十を過ぎて先生の外来に通うようになって、死ぬのが怖いんです。」

 無常なのは身体だけではない。心もまた無常なのであろう。

 

2020年2月 4日 (火)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第六回

 死は自らにとっては概念である。ドクターミネはかつて、存在を構成している「時」には「実」体験の「時」と、想定や期待といった、体験という意味では「虚」の「時」があり、死はあくまでも知識として理解しているという点で、自らにとっては「虚」の「時」であると論じた(『中外日報』平成二六年五月二一日号)。霊長類学者の水原洋城先生もまた「死は概念である」とおっしゃっていた。死を理解する為には概念化が必要であり、概念化するためには言葉が必要であるという。ドクターミネは、机上の哲学的思考から到達した結論だが、先生はニホンザルの研究からこの結論に達した(新谷尚紀著『お葬式』より)。子供の頃飼っていた猫が子猫を生んだが、まもなく死んでしまった。母猫はそれでも、死んだ子猫をどこに行くにもくわえていく。そのうち腐敗も始まったので、母猫がえさを食べている隙を見て、子猫を埋葬した。しばらくの間親猫が、鳴きながら子猫を探していた光景を忘れることができない。水原先生は、ニホンザルの母猿が、死んだ子猿をずっと持っているのは、今まで乳を吸っていた子猿が急に吸わなくなってしまい、どうしたらいいか、わからないからだという。子供の頃の記憶にあるあの猫も、同じだったのだろう。猿の場合、群れで暮らす動物であるため、死が近づいて弱ると、群れに置き去りにされ、遂には野犬などに食べられる運命にあるという。野生動物の場合、子育てが終了すると、親は子を突き放す。ところがペットは、親子でずっと一緒に暮らすケースがあり、「親の死」を目撃する場合もある。

 三十年近く前の話である。ドクターミネの寺房に、白い犬が、大きなお腹を抱えてやってきた。どうやら、去勢もせずに飼っていた近所の飼い主が、飼いきれなくなったために、引っ越しの際に置き去りにしたようだ。元々飼い犬であったためか、えさを与えると、初めはおそるおそるであったが、寄りつくようになり、遂には本堂の縁の下で子犬を出産した。母犬似の白い子犬は総代様にもらっていただき、茶色の子犬は子供達があまりにかわいがるので「チャコ」と名付けて、母犬「シロ」と共に飼うことにした。その後母犬「シロ」は亡くなったが、死因はおそらく、フィラリアによる肺塞栓症であった。病気の性格上、チャコの目の前で突然亡くなった。チャコはその後一週間、まったくえさを食べず、ずっと鳴いていた。チャコは乳離れした後も、ずっと母犬シロと暮らしていたが、総代様にもらって頂いた、シロが生んだ犬を、一度だけシロにあわせたことがある。すでに成犬となっていたためか、シロは歯をむいて怒りをあらわにして、自分の生んだ娘を追い払ったのである。同じ時に生まれたチャコに対しては全く見せない姿であった。

 水原先生がおっしゃるように、チャコは、母犬であるシロが死んだことを理解して鳴き続けた訳ではないのだろう。しかし、犬には犬の理屈があることを、このチャコから学んだ。

 シロが本堂の縁の下で子犬を生んだとき「阿弥陀様からのプレゼントだから、一向寺で飼うべきだ」との叔父の言でもあり、大きな犬小屋を用意して、境内で飼い出した。この叔父は口だけで出して、別にえさをやるわけでもなく、散歩をさせる訳でもなく、何もしたことがないのに、この叔父が来ると、なぜかシロもチャコも、狂喜乱舞するが如く喜んだ。その叔父が亡くなった時には、すでにシロは亡くなっていたが、チャコはいた。まだ叔父の死が知らされる直前、なぜか散歩の時チャコは、この日に限って叔父の家に行こうとした。そして家の前で止まり、家の上の方をずっと見ていた。道を変えても、またそこに戻って、家の上を見続けた。やむなく強制的に引っぱって家に帰ると、その叔父の死を知らせる電話が入ったのである。

2020年2月 1日 (土)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第五回

 早朝覚醒(そうちょうかくせい)という言葉がある。要は朝早く目覚めてしまうことである。病的なものとしては、うつ病の一症状として知られている。ドクターミネがまだ現役内科医であった四十台後半、あまりの忙しさに精神的に抑うつ状態になり、ただでさえ寝付きが悪いのに、すぐに目が覚めてしまうため、寝床で悶々(もんもん)とした経験がある。では六十を過ぎた現在ではどうか。特に抑うつ状態でなくとも、朝五時前に必ず目が覚める。時には「朝刊配達」の物音に寝床で気づくことすらある。小用のため目が覚めるのか、目が覚めるから小用をもよおすのかは、その時々による。ただ、トイレに起きた後、いわゆる「二度寝」が困難になってきた。晩酌のおかげだと思うが、寝付きは悪くないが、たまに設けた「肝休日」は寝付きが悪いのに、早朝覚醒は同じようにある。酒は「百薬の長」である。間違いない!

 ドクターミネが還暦を迎えた年に、ある檀家様がおっしゃった言葉が、いつも心に残っている。

「六十代は色々な意味で、春夏秋冬がある」

年寄りは早起き、と相場は決まっている。これが六十代の現実ならばしかたがない。これを受け入れて、早朝覚醒をどう対処するか、ないしはやりすごしか、が勝負となる。

 ドクターミネにとっては、睡眠薬を服用する、というのは最後の手段である。現代の代表的な、ベンゾジアゼピン系睡眠薬は、アルコールを呑んだ後に服用すると、一過性前向性健忘(いっかせいぜんこうせいけんぼう)をきたすことが知られている。これは、酒好きな友人の経験談である。晩酌でアルコールを呑んで居眠りをしたが、すぐに目覚めてしまったために、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を服用して眠った。翌日の夕方、突然駐車場で、意識を取り戻した。その間のことをまったく記憶しておらず、しかし周囲の人に尋ねると、普通に車で出勤して仕事をしていたそうである。それ以降彼は、恐ろしくなったようで、断酒ではなく「断睡眠薬」をしている。また終末期となった、酒呑みの高齢患者が、亡くなる一週間前に、どうしても酒を呑みたいというので、日頃から愛飲していた日本酒を一口呑ませた時の感想が、次の言葉である。

「うまくねえや」

ドクターミネは、酒を口にして「うまくねえや」と感じる時期がきたら、眠るために、睡眠薬でも何でも服用するつもりである。

 午前四時ぐらいに小用で起きて、眠れないからといっても、仕事をする気力はわかない。かといって、起き出してごそごそしていると、我が家の「山の神」に叱られる。一人静かに、寝床に横たわっているしかない。念仏門の祖師である一向上人の和讃には「行住坐臥の勤め(念仏)には 威儀も作法もなかりけり」とある。歌手美空ひばりのヒット曲「柔」の一節にも「行くもとまるも坐るも臥すも 柔一筋」とある。この際、念仏の信者であり、念仏門の僧侶でもあるドクターミネの場合、念仏を称える以外の選択肢は思い浮かばない。そこで、声にならないような声で南無阿弥陀仏を称えていると、うとうとしてくることがある。これはまだ許せる。しかし何の脈絡もなく、突然妄想がわいてくることがある。正直、そういう自分に自己嫌悪していたが、最近、宗教学者の山折哲雄先生の言葉に感銘を受けた。この言葉に出会って、老いていくのも悪くないかも知れないと思えた。

早暁(そうぎょう)にはもう目覚めて、妄想のときを愉しんでいる。(中略)寝床の中の妄想三昧、この世とあの世をつなぐ、グレーゾーンの徘徊である」(『大法輪』令和元年七月号より)

2020年1月26日 (日)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第四回

 同級生が昨年、白内障の手術を受けた。手術のおかげで、どれほどよく見えるようになったかを聞かされたが、話の内容が思い出せないぐらいショックを受けた。七十代、八十代での白内障はよくある話だ。そもそも主な原因は加齢なので、六十代で白内障というのも決して稀ではないが、しかし自分がそういう年代になっているという現実を突きつけられると、微妙な気持ちになるのも事実だ。糖尿病は白内障を加速させるので、食事の量も最近気にし始めた。また紫外線が悪影響をもたらすことも知られているので、天気の良い日に外出するときには、極力サングラスをかけるようにしている。「遅かりし 由良の助」かも知れないが。

 住職も医師もいわば客商売である。だから気になるのは「臭い」である。汗の臭いや加齢臭などの体臭対策のために、洗剤や柔軟剤が多数販売されているし、テレビコマーシャルも盛んである。ただ、香料のきついものもあり、臭いを臭いで誤魔化している感じもする。客商売である以上、体臭対策も重要かもしれないが、それが過剰になると、心を病んでしまう。だから何事も「程々」がよい。ドクターミネは、「洗剤や柔軟剤の銘柄」にこだわるのではなく、下着やシャツは常に清潔なものを身につけるように、そして出来る限り毎日風呂に入るようにしている。

 しかし一番厄介なのは「口臭」である。住職になって妻から「口が臭い」と指摘を受ける。医師に時代は「口臭」を指摘されることはなかった。これは「口臭」がなかった訳では無く、誰も指摘しなかっただけのことであろう。「お前、口が臭いよ」という指摘は、仲の良い間柄でも気が引ける。医師を引退して住職になり、一日中妻と顔をあわせるようになると、容赦のない指摘に晒される。

 肝不全、腎不全の患者は、独特の口臭があり、その臭いを知っている内科医はすぐに気づく。しかし一番多い原因は口腔内にある。歯周囲炎(いわゆる歯槽膿漏)やう歯(虫歯)はまず治療する必要がある。ドクターミネは歯周囲炎が原因ですでに奥歯二本を失っていて、部分入れ歯となっている。失う前に気づけばよかったが、人間、そう都合良くはいかない。部分入れ歯は一日一回、専用の洗浄剤につけている。また食後、研磨剤の入っていない歯周囲炎対策用のハミガキと液体ハミガキの両方を使っている。口腔内は唾液によって、弱アルカリ性に保たれているが、食直後は酸性に傾くため、食直後よりも、少し時間をおいてから歯磨きする方がよいという。しかし待っているうちに歯磨きを忘れてしまう恐れがあるので、まずは液体ハミガキで口をすすぎ、その後に歯周囲炎対策用のハミガキでブラッシングして、最後に歯間ブラシを利用している。

 口呼吸による口腔内乾燥も口臭の原因になる。ドクターミネは小学生時代から、副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)を指摘され、何度か治療も受けた。この病気は、鼻の構造的問題や遺伝的問題が原因である場合、完治しない。だからドクターミネは、気長に通院して、耳鼻科医の治療を受けている。そのせいか、最近では妻から口臭に関する指摘が随分減った。鼻呼吸の有り難さも実感している。

 口腔内の乾燥は唾液分泌低下も原因になる。特にストレスがかかると、交感神経が優位となり、副交感神経が抑制された結果、唾液分泌が低下するし、胃腸の働きも抑制されて、いわゆる胃腸系が原因の口臭がおこる。しかし、普通に生きていれば、ストレスを完全に避けることなど不可能である。できる予防策としては、ヨーグルトや食物繊維の多い食品を食べて、腸内細菌にがんばってもらうぐらいのことであろう。ドクターミネは逆流性食道炎があるので、胸焼けを自覚している時には、大概妻から口臭を指摘される。だから胸焼けを感じるようなストレスのあるときには、なるべく他人と距離を置いて話をするようにしている。

2020年1月25日 (土)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第三回

 以前、ドクターミネの毒舌健康法で、減量について話をした。若い時分の減量には意味があるが、六十を過ぎてからの減量は、よくよく考えた方が良い。確かに膝や腰への負担は、体重が軽い方が少ない。しかし減量のために食事を制限すれば、脂肪より先に筋肉が落ちる。かといって、そもそも運動だけで痩せようとするのは無謀である。無理な運動で膝や腰を痛めたら元も子もない。

 病気になれば消耗戦となる。この消耗戦では、脂肪と筋肉は「エネルギーの蓄え」になる。いい年をして、イケメンだの美熟女だのという言葉に惑わされて、脂肪を目の敵にすることに意味があるのか否か、よくよく考えるべきであろう。一方、膝や腰を守るためには、減量だけでは不充分である。関節を支える周囲の筋肉を鍛える必要がある。そのためには、どのような運動が適しているのか、勉強する必要である。

 スポーツの場合、一番危険率が高いのは「ゴルフ」だと聞いた事がある。本当?と驚かれた諸兄もいるであろう。例えば武道は、指導者でもないかぎり、中高年以降はしないであろう。サッカー、ラグビーといったスポーツも、体力に相当自信のある中高年以外は無理である。そこへいくとゴルフは、いくつになってもできるスポーツというイメージがある。ろくに準備体操もせずに、真夏や真冬にクラブを振り回すから命を危険にさらすのである。頸椎や腰椎に椎間板ヘルニアのある人は、ゴルフやテニスは向かない。身体を回転させるようなスポーツは、ヘルニアを悪化させるからである。ドクターミネは現在特別なスポーツはしていない。朝夕の犬の散歩、境内掃除、外出時には意識して歩くように心がけている。しかも、携帯電話の機能を使い、一日どのくらい歩いたかを毎日記録している。

 若い時分の減量での食事制限は、空腹との闘いであった。しかし六十を過ぎると、以前より食欲が減退する。しかし食欲は、病気との消耗戦においては生命線となる。大病を患った時、生還できるか否かの重要な要素が食欲である。また長命の方々は、肉をよく食べるという。しかし「肉を積極的に食べれば長生きできる」というものでもない。そもそも毎日肉を食べても胸焼けしないような丈夫な胃袋と、パンクしないだけの丈夫な財布を持っている必要がある。肉を食べて、すぐに胸焼けするような胃袋しか持っていなければ、毎日肉を食べる気にはならない。

 ドクターミネは、空腹感を大切にしている。特に朝食と昼食は、空腹感を感じないかぎり、無理して食べない。理由は単純明快である。夕食での晩酌をおいしくいただくためである。「空腹は最大のごちそうである」という言葉は言い得て妙である。そして、昼酒は呑まないようにしている。学生の頃、昼食でそば屋にいくと、決まってカウンター席で、そばと天ぷらを食べながら、実においしそうに日本酒を呑む年寄りがいて、あの姿にあこがれていた。しかし内科医になれば、アルコール依存症(いわゆるアルコール中毒)の患者も診ることになる。彼らの多くは朝から酒を呑む。うまい、まずい、の次元ではない。ただただ朝から飲む。しかも尿を垂れ流しながらも呑む。あの強烈な光景は忘れられない。だからドクターミネは、昼からうまそうに日本酒を呑んでいた年寄りに憧れながらも、午後五時を過ぎるまで、決して飲まない。葬儀や法事の後で、お清めに呼ばれることもあるが、ウーロン茶以外は一切飲まない。ウーロン茶でお刺身を食べることにも慣れた。昼間のお清めでお酒を一切呑まないのは、もちろん仕事中ということもあるが、それよりも「アルコール中毒」に対する恐怖感からである。悪友ともいうべき酒と一生付き合っていくために、午後五時前には決して酒を呑まない、という自分のルールを破らないようにしている。

2020年1月24日 (金)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第二回

 吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草(つれづれぐさ)』第一五五段に、こういう言葉がある。

「死期はついでを待たず。死は前よりしも(きた)らず。かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひかた)(はる)かなれども、磯より(しお)の満つるが如し。」死は前方から堂々と迫ってくる訳ではなく、後ろにそっと忍び寄っている。どうせすぐにはやってこないだろうと高を括っていると、死は不意にやってくる。それはあたかも、干潟がずっと沖の方にあるように見えていたのに、気づいたら足下の磯から潮が満ちてくるようなものだ、と言っている。

 昨年の年賀状で、丸坊主の写真を送ってきた同級生がいた。抗がん剤治療中の写真とのこと。今年の年賀状では髪の毛があり、孫が生まれたと。これが生きているという現実なのであろう。

 現在、某大学病院緩和ケア科の非常勤医師なので、自分が末期癌になった場合のことを考えることもある。以前は循環器内科医であったが、心筋梗塞でポックリ死ねれば楽かも知れないが、そうはいかない。慢性心不全で入退院を繰り返すかもしれない。長生きしたいのは山々だが、九十才を超えた両親をみていると、色々考えさせられる。いずれにしても、死ぬ時、死に方、死ぬ場所ですら前もって決めておくことなどできない。しかも人に迷惑をかけないで死ぬことなど不可能である。たとえポックリ死んでも、後に残された者は大変な思いをする。かの大石内蔵助は吉良邸に討ち入る際、戦場に臨む武士の習いとして、四十七士に対して、自らが死者となったときの弔い代を、奥襟に縫い込むように指示したという。

 迷惑をかける程度は、今からの準備で軽減できるかも知れない。そこでドクターミネは、自らの身体を見渡してみて、一つ気になることを発見した。足白癬(はくせん)菌症(きんしょう)(水虫)である。しかも右拇指の爪まで白癬菌が及んでいる。介護が必要になれば、身体を他人に任せることになる。水虫の足など、誰も触りたくない。ましてや爪白癬菌症の爪など、誰が好きこのんで切ってくれようか。そこで昨年から、皮膚科専門医を受診して、爪白癬菌症の治療を開始した。抗真菌剤であるテルビナフィンを服用する前に、まず採血をする。この薬は副作用として、重篤な肝機能障害や血液障害を引き起こすことが知られているからである。ところが飲み始める前の採血で、軽度の肝機能障害が問題視され、内服に「待った」がかかった。そこで以前の採血データをすべて揃えて、服用前のデータが私にとっては特別ではないことを、受診予約日に説明した。そこで改めて一ヶ月間服用して採血をしたところ、肝機能データが服用前よりむしろ改善されているので、ようやく継続服用の許可が出た。軽度肝機能障害の原因は重々承知していたので、それを控えたまでのことである。

 これから一年以上、皮膚科に通院しなければならない。拇指の爪は手の爪よりのびるのが遅い。しかも白癬菌症に侵されるとなおさら遅くなる。白癬菌症でだめになった爪が完全に無くなるまで、薬を飲み続けなければならない。予約診療とはいえ、二時間以上は費やすし、急用ができれば予約を変更しなければならない。面倒と言えば面倒だが、悪いことばかりではない。今までは冬になると必ず、白癬菌症による足底のひび割れに悩まされていた。しかしテルビナフィンの服用のおかげで、ひび割れが生じなかった。考えてみると、日常生活の中で感じる幸不幸というのは、裏表の関係にあるのかもしれない。そこで、今年の一向寺掲示板の年頭には、次のように書いた。

「幸不幸はどうやら、絶対的なものではなく、微妙なバランスで成り立っているようだ。それはあたかも、太陽がもたらす大豊作にも似ている。」

2020年1月23日 (木)

ドクターミネの「老・病・死」を見つめる法話 第一回

 ドクターミネも満六十二歳になった。「ドクターミネの毒舌健康法話」は、平成三十年秋彼岸号まで六十二回連載してきた。このコーナーを引き受けた頃は、四十代の現役内科医師で、健康法話はいくらでも書けると思っていた。血圧を測るたびに一喜一憂する愚かさを、からかってやろうという気持ちから、第一回目は血圧について書いた。たばこの害について講演する機会があり、それをきっかけに、たばこについて書いたら、ある愛煙家のご老僧から「君が余計な事を書くから、妻にしかられた」と笑いながら言われたこともあった。たばこの害だけ取り上げて、アルコールの害に目をつぶるのは公平ではないので、アルコールについても書いた。毎年三万人以上の自殺者が問題になっていたこともあり、その原因となる疾患「うつ」についても、また緩和ケア病棟で問題となるスピリチュアルペインについても連載した。胃瘻のことで相当悩んだ、という檀家の話をきっかけに、胃瘻を含めた終末期医療についても連載した。しかし、常勤の内科医をやめてすでに十二年、非常勤の内科医をやめて二年になる。

 かつては「患者からのまなざし」になんとか応えようと努力する医師であった。しかし現在は、自分が患者となり、「患者からのまなざし」を送る側になっている。確か昭和の終わりに修得した、総合内科専門医を昨年辞退し、平成の初めに修得した、循環器専門医を今年辞退した。この現状を鑑みれば、いつまでも偉そうに「毒舌健康法話」など、書き続けてよい訳はない。

 一方で、自分が患者になって、つまり「診る側」から「診てもらう側」になって色々と気づいたこともある。また住職になって十年になるが、檀家と話をしていると、自分が医師の時代、終末期にある患者の家族に充分説明してきたと思っていたが、実はあまり伝わっていなかった事にも気づいた。「あの時の私達の決断は間違いなかったのですね、しかたがなかったのですね」と涙ながらに同意を求められると、なおさらである。

 「ドクターミネの毒舌健康法話」を書き始めた頃に比べると、歯も二本抜け、老眼になり、耳も遠くなった。ちょっとした段差にもつまずく。しかし悪いことばかりではない。あの頃に比べて、一日、一日が愛おしく感じられるようになったし、人生を噛みしめる力というものがあるならば、あの頃よりも確実に、その噛みしめる力は増しているようにも思う。

 そこで今後のドクターミネの健康法話は、「老・病」を見つめる法話に変更しようと思う。当然その先には「死」がある。いつまで続けられるかわからないが、思いつくまま、気の向くまま書くことを許していただける間は、書き続けようと思う。

 最近意識していることだは、階段の上り下りに関して、上りよりも下りに注意をしている。まずは平地を歩く場合を考えてみる。右足を一歩前に出すためには、右足をいったん宙に浮かせなければならず、着地するまでの間は、左足一本に全体重がかかることになる。そして着地と同時に右足は、前方に進むための慣性力を受け止めなければならない。階段を上る場合、自然落下しようとする身体とは逆の方向に動くので、身体を持ち上げるための筋力が必要となる。ただ、身体が前のめりになるので、階段と目の距離が近くなり、危険も察知しやすい。もしつまずいても、すぐに手がつけるので、防御態勢がとりやすい。しかし階段を下りる場合はそうはいかない。身体は自然に落下するので、その落下に対する慣性力と全体重を、着地する足が受け止めなければならない。しかも階段と目の距離が離れるため、年を取って目が弱ってくれば、危険を察知しにくくなる。もしつまずきでもすれば……。ドクターミネは、駅の階段の場合、筋力維持のために、上りは積極的に階段を利用するが、下りはエスカレーターを利用するか、なければ手すりを利用することにしている。